「澤崎定之」の版間の差分
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[[和歌山県]][[有田市]]<ref name=":1">{{Cite web|url=https://www.nwn.jp/news/17040801_inami/|title=幻の和歌山市歌メロディ 記憶から採譜|accessdate=2020-2-8|publisher=ニュース和歌山}}</ref>出身。1912年(明治45年)[[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]]声楽科卒<ref name=":0" />。[[アウグスト・ユンケル]]、[[ハンカ・シェルデルップ・ペツォルト|ハンカ・ペツォルト]]に師事<ref name=":0" />。同年の卒業生には、声楽:中島かね・[[梁田貞]]、ピアノ:[[中山晋平]]・服部駟郎次、ヴァイオリン:多基永などがいる<ref>{{Cite web|url=https://www.city.nakano.nagano.jp/shinpei/highschool/ayumi.htm|title=中山晋平~音楽と生涯~|accessdate=2020-2-8|publisher=長野県中野市}}</ref>。 |
[[和歌山県]][[有田市]]<ref name=":1">{{Cite web|url=https://www.nwn.jp/news/17040801_inami/|title=幻の和歌山市歌メロディ 記憶から採譜|accessdate=2020-2-8|publisher=ニュース和歌山}}</ref>出身。1912年(明治45年)[[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]]声楽科卒<ref name=":0" />。[[アウグスト・ユンケル]]、[[ハンカ・シェルデルップ・ペツォルト|ハンカ・ペツォルト]]に師事<ref name=":0" />。同年の卒業生には、声楽:中島かね・[[梁田貞]]、ピアノ:[[中山晋平]]・服部駟郎次、ヴァイオリン:多基永などがいる<ref>{{Cite web|url=https://www.city.nakano.nagano.jp/shinpei/highschool/ayumi.htm|title=中山晋平~音楽と生涯~|accessdate=2020-2-8|publisher=長野県中野市}}</ref>。 |
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[[テノール]]歌手として、日本で最初の四重唱団<ref>{{Cite web|url=https://www.lib.kunitachi.ac.jp/tenji/2014/tenji1406.pdf|title=武岡鶴代|accessdate=2020-2-9|publisher=国立音楽大学}}</ref>「澤崎[[カルテット|クヮルテット]]」名義の演奏記録もある([[ソプラノ]]:[[武岡鶴代]]、[[アルト]]:[[柳兼子]]、テノール:澤崎、[[バス (声域)|バス]]:[[矢田部勁吉]])<ref>{{Cite web|url=https://jfn.josuikai.net/circles/culture/merkur-ob/history/1920.txt|title=1920年の演奏会 一橋グリー倶楽部第一回公開音楽会|accessdate=2020-2-8|publisher=如水会}}</ref>。1924年(大正13年)11月、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]「[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第九]]」日本人初演のテノールソリストを務めている([[グスタフ・クローン]]指揮、ソプラノ長坂好子、アルト曽我部(斉藤)静子、バリトン船橋栄吉、管弦楽と合唱は東京音楽学校、上野奏楽堂)<ref>{{Cite web|url=https://blog.goo.ne.jp/hirochan1990/e/45c88870557d0b66308c9cc170b46d6e|title=日本人の演奏による第九初演(1924)|accessdate=2020-2-9}}</ref>。1929年(昭和4年)東京音楽学校[[教授]]<ref name=":2">{{Cite web|url=https://koshigaya-h.spec.ed.jp/校章校歌紹介|title=校章校歌紹介|accessdate=2020-2-8|publisher=埼玉県立越ヶ谷高等学校}}</ref>。東京音楽学校声楽科主任教授のかたわらテノールの演奏活動を続けた<ref name=":0" />(ただし澤崎が「[[カンタータ|声交曲]]“皇太子殿下御誕生奉祝歌”」[[バリトン]]独唱<ref>{{Cite web|url=https://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/x/2019-04-27/07/73152/4756329/|title=クラシックの迷宮 ▽平成の終わりに寄せて|accessdate=2020-2-8|publisher=NHK}}</ref>、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]「[[ドイツ・レクイエム|独逸鎮魂曲]]」バリトン独唱、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグネル]]楽劇「[[神々の黄昏 (楽劇)|神々の黄昏]]」ハーゲン(バス)を歌った記録もある<ref name=":3">{{Cite web|url=http://www.lib.geidai.ac.jp/MBULL/34Hashimoto.pdf|title=乘杉嘉壽校長時代の東京音楽学校 昭和3年~20年 橋本久美子|accessdate=2020-2-8|publisher=東京藝術大学音楽学部 紀要 第34集 抜刷 平成21年3月}}</ref>)。教え子には、[[木下保]]<ref>木下保の藝術~信時潔、團伊玖磨 歌曲集~ CD 日本伝統文化振興財団 木下保略歴</ref>、[[畑中良輔]]<ref>{{Cite book|title=音楽少年誕生物語 初めての上京、初めての声楽レッスンの項に、駒込の澤崎宅でのレッスンの模様が詳細に記述されている。|date=2002年2月12日|publisher=音楽之友社|author=畑中良輔}}</ref>、[[ |
[[テノール]]歌手として、日本で最初の四重唱団<ref>{{Cite web|url=https://www.lib.kunitachi.ac.jp/tenji/2014/tenji1406.pdf|title=武岡鶴代|accessdate=2020-2-9|publisher=国立音楽大学}}</ref>「澤崎[[カルテット|クヮルテット]]」名義の演奏記録もある([[ソプラノ]]:[[武岡鶴代]]、[[アルト]]:[[柳兼子]]、テノール:澤崎、[[バス (声域)|バス]]:[[矢田部勁吉]])<ref>{{Cite web|url=https://jfn.josuikai.net/circles/culture/merkur-ob/history/1920.txt|title=1920年の演奏会 一橋グリー倶楽部第一回公開音楽会|accessdate=2020-2-8|publisher=如水会}}</ref>。1924年(大正13年)11月、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]「[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第九]]」日本人初演のテノールソリストを務めている([[グスタフ・クローン]]指揮、ソプラノ長坂好子、アルト曽我部(斉藤)静子、バリトン船橋栄吉、管弦楽と合唱は東京音楽学校、上野奏楽堂)<ref>{{Cite web|url=https://blog.goo.ne.jp/hirochan1990/e/45c88870557d0b66308c9cc170b46d6e|title=日本人の演奏による第九初演(1924)|accessdate=2020-2-9}}</ref>。1929年(昭和4年)東京音楽学校[[教授]]<ref name=":2">{{Cite web|url=https://koshigaya-h.spec.ed.jp/校章校歌紹介|title=校章校歌紹介|accessdate=2020-2-8|publisher=埼玉県立越ヶ谷高等学校}}</ref>。東京音楽学校声楽科主任教授のかたわらテノールの演奏活動を続けた<ref name=":0" />(ただし澤崎が「[[カンタータ|声交曲]]“皇太子殿下御誕生奉祝歌”」[[バリトン]]独唱<ref>{{Cite web|url=https://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/x/2019-04-27/07/73152/4756329/|title=クラシックの迷宮 ▽平成の終わりに寄せて|accessdate=2020-2-8|publisher=NHK}}</ref>、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]「[[ドイツ・レクイエム|独逸鎮魂曲]]」バリトン独唱、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグネル]]楽劇「[[神々の黄昏 (楽劇)|神々の黄昏]]」ハーゲン(バス)を歌った記録もある<ref name=":3">{{Cite web|url=http://www.lib.geidai.ac.jp/MBULL/34Hashimoto.pdf|title=乘杉嘉壽校長時代の東京音楽学校 昭和3年~20年 橋本久美子|accessdate=2020-2-8|publisher=東京藝術大学音楽学部 紀要 第34集 抜刷 平成21年3月}}</ref>)。教え子には、[[木下保]]<ref>木下保の藝術~信時潔、團伊玖磨 歌曲集~ CD 日本伝統文化振興財団 木下保略歴</ref>、[[畑中良輔]]<ref>{{Cite book|title=音楽少年誕生物語 初めての上京、初めての声楽レッスンの項に、駒込の澤崎宅でのレッスンの模様が詳細に記述されている。|date=2002年2月12日|publisher=音楽之友社|author=畑中良輔}}</ref>、[[徳山璉]]<ref>{{Cite web|url=http://www2s.biglobe.ne.jp/~matu-emk/tokuyam.html|title=国民歌謡「隣組」で親しまれた=徳山たまき|accessdate=2020-2-9|publisher=Report from Kamakura}}</ref>、[[小山祐士]]<ref>{{Cite web|url=https://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/jinmeiroku/koyama-yuushi/koyama-yuushi.htm|title=小山祐士|accessdate=2020-2-8|publisher=福山誠之館同窓会}}</ref>、[[鈴木鎮一]]<ref>{{Cite web|url=https://meigaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2526&item_no=1&page_id=13&block_id=21|title=鈴木鎮一と才能教育―その形成史と本質の解明 久保 絵里麻 2014-03-07|accessdate=2020-2-8|publisher=明治学院大学 機関リポジトリ}}</ref>などがいる。小学校唱歌教育研究会児童唱歌コンクールの審査員を1932年、1933年に務める<ref>{{Cite web|url=https://www.ne.jp/asahi/yasuyuki/koseki/read_1b_ONTOMO_note_194301.htm|title=音楽の友 記事に関するノート|accessdate=2020-2-8}}</ref>。1935年(昭和10年)欧米に2年間視察旅行、帰国後は合唱指導など教育に専念した<ref name=":0" />。1939年(昭和14年)[[小松耕輔]]の[[オペラ]]「霊鐘」初演に参加<ref name=":0" />。合唱指揮者として東京音楽学校生徒による演奏を多数録音している<ref name=":3" /><ref>{{Cite web|url=https://www.youtube.com/watch?v=8RuQ6uElV-I|title=一月一日(東京音楽学校生徒合唱)|accessdate=2020-2-8|publisher=YouTube}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://musicstore.auone.jp/s/song/S1000544326?ds=1000752266&affiliate=2504210001|title=国に誓ふ 澤﨑定之/東京音楽学校合唱団|accessdate=2020-2-8|publisher=Music Store}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3571319|title=混声合唱:流浪の民|accessdate=2020-2-8|publisher=国立国会図書館 歴史的音源}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3571453/1|title=女声二部合唱:「紀の国の歌」あてすぎて|accessdate=2020-2-8|publisher=国立国会図書館 歴史的音源}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3571449/1|title=女声三部合唱:「紀の国の歌」こせやまの|accessdate=2020-2-8|publisher=国立国会図書館 歴史的音源}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3571452/1|title=女声斉唱:「紀の国の歌」くるしくも|accessdate=2020-2-8|publisher=国立国会図書館 歴史的音源}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.youtube.com/watch?v=Hcfr51iPWhw&feature=youtu.be|title=サンタ・ルチア(澤崎定之指揮 東京音楽学校生徒 女声合唱|accessdate=2020-2-8|publisher=YouTube}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://straight-records.jp/?pid=135780453|title=澤崎 定之 ~ 東京音楽学校生徒 ローレライ/ブラームスの子守歌(10インチ)|accessdate=2020-2-8|publisher=ストレイト・レコーズ}}</ref>。 |
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昭和合唱研究会、[[東京放送合唱団]]などを創設した<ref name=":2" />。作曲家としても作品を残している。 |
昭和合唱研究会、[[東京放送合唱団]]などを創設した<ref name=":2" />。作曲家としても作品を残している。 |
2020年8月25日 (火) 05:16時点における版
澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889年(明治22年)5月17日 - 1949年(昭和24年)4月15日[1])は日本の声楽家、音楽教育者、合唱指揮者、作曲家。日本の洋楽界のパイオニアとして重要な役割を果たした。
経歴
和歌山県有田市[2]出身。1912年(明治45年)東京音楽学校声楽科卒[1]。アウグスト・ユンケル、ハンカ・ペツォルトに師事[1]。同年の卒業生には、声楽:中島かね・梁田貞、ピアノ:中山晋平・服部駟郎次、ヴァイオリン:多基永などがいる[3]。
テノール歌手として、日本で最初の四重唱団[4]「澤崎クヮルテット」名義の演奏記録もある(ソプラノ:武岡鶴代、アルト:柳兼子、テノール:澤崎、バス:矢田部勁吉)[5]。1924年(大正13年)11月、ベートーヴェン「第九」日本人初演のテノールソリストを務めている(グスタフ・クローン指揮、ソプラノ長坂好子、アルト曽我部(斉藤)静子、バリトン船橋栄吉、管弦楽と合唱は東京音楽学校、上野奏楽堂)[6]。1929年(昭和4年)東京音楽学校教授[7]。東京音楽学校声楽科主任教授のかたわらテノールの演奏活動を続けた[1](ただし澤崎が「声交曲“皇太子殿下御誕生奉祝歌”」バリトン独唱[8]、ブラームス「独逸鎮魂曲」バリトン独唱、ワーグネル楽劇「神々の黄昏」ハーゲン(バス)を歌った記録もある[9])。教え子には、木下保[10]、畑中良輔[11]、徳山璉[12]、小山祐士[13]、鈴木鎮一[14]などがいる。小学校唱歌教育研究会児童唱歌コンクールの審査員を1932年、1933年に務める[15]。1935年(昭和10年)欧米に2年間視察旅行、帰国後は合唱指導など教育に専念した[1]。1939年(昭和14年)小松耕輔のオペラ「霊鐘」初演に参加[1]。合唱指揮者として東京音楽学校生徒による演奏を多数録音している[9][16][17][18][19][20][21][22][23]。
昭和合唱研究会、東京放送合唱団などを創設した[7]。作曲家としても作品を残している。
1949年(昭和24年)4月15日逝去。61歳没[7]。
主な作曲作品
※現在確認できるもののみを記した。
- お手玉 文部省唱歌 1933年(昭和8年)[24]
- 単音唱歌 菊 青木歌子作詩 1933年(昭和8年)[25]
- 旧(3代目)和歌山市歌 田辺善一作詞 紀元二千六百年記念行事 1940年(昭和15年)[2]
- 埼玉県立越ヶ谷高等学校校歌 高野辰之作詞 1935年(昭和10年)3月制定[7]
- 岩手県一戸町立鳥海中学校校歌 東山重雄作詞[26] ※2011年閉校[27]
- 和歌山県海南市立黒江小学校校歌 岩橋貞吉作詞 1923年(大正12年)頃制定[28]
著書・訳書
書籍
- 唱歌法の原理 京文社出版 デヴィド・スィ・テーラー著/澤崎定之 高橋均訳 1929年(昭和4年)[29]
- 基礎唱歌法 共益商社 1935年(昭和10年)[30]
- 唱歌法 : 正しく美しい唱歌の基礎 音樂之友社 1949年(昭和24年)7月[31]
楽譜
- お手玉 文部省唱歌 1933年(昭和8年)[24]
- 単音唱歌 菊 (新調女声唱歌抜粋・其の十二) 共益商社書店 1933年(昭和8年)[25]
- Marchesi : l'art du chant : méthode pratique 30 vocalises op. 21, (complete) pour mezzo soprano マルケージ・澤崎作品二十一番 : 合本 澤崎定之譯 シンキヤウ社 1933年(昭和8年)[32]
主なディスコグラフィー
下記の他にも戦前のSPレコードの吹込みを数多く行っている。
- SP音源復刻盤 信時潔作品集成(2008年度(平成20年度)文化庁芸術祭大賞受賞) 澤﨑定之(指揮・独唱)ほか 日本伝統文化振興財団[33]
- ロームミュージックファンデーション SPレコード復刻CD集 澤﨑定之(指揮・独唱)ほか 日本音声保存[34]
- 西條八十全集/生誕100年 CD 1992年 日本コロムビア 澤崎定之指揮ほか[35]
脚注・出典
- ^ a b c d e f “沢崎定之”. コトバンク. 2020年2月8日閲覧。
- ^ a b “幻の和歌山市歌メロディ 記憶から採譜”. ニュース和歌山. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “中山晋平~音楽と生涯~”. 長野県中野市. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “武岡鶴代”. 国立音楽大学. 2020年2月9日閲覧。
- ^ “1920年の演奏会 一橋グリー倶楽部第一回公開音楽会”. 如水会. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “日本人の演奏による第九初演(1924)”. 2020年2月9日閲覧。
- ^ a b c d “校章校歌紹介”. 埼玉県立越ヶ谷高等学校. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “クラシックの迷宮 ▽平成の終わりに寄せて”. NHK. 2020年2月8日閲覧。
- ^ a b “乘杉嘉壽校長時代の東京音楽学校 昭和3年~20年 橋本久美子”. 東京藝術大学音楽学部 紀要 第34集 抜刷 平成21年3月. 2020年2月8日閲覧。
- ^ 木下保の藝術~信時潔、團伊玖磨 歌曲集~ CD 日本伝統文化振興財団 木下保略歴
- ^ 畑中良輔 (2002年2月12日). 音楽少年誕生物語 初めての上京、初めての声楽レッスンの項に、駒込の澤崎宅でのレッスンの模様が詳細に記述されている。. 音楽之友社
- ^ “国民歌謡「隣組」で親しまれた=徳山たまき”. Report from Kamakura. 2020年2月9日閲覧。
- ^ “小山祐士”. 福山誠之館同窓会. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “鈴木鎮一と才能教育―その形成史と本質の解明 久保 絵里麻 2014-03-07”. 明治学院大学 機関リポジトリ. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “音楽の友 記事に関するノート”. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “一月一日(東京音楽学校生徒合唱)”. YouTube. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “国に誓ふ 澤﨑定之/東京音楽学校合唱団”. Music Store. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “混声合唱:流浪の民”. 国立国会図書館 歴史的音源. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “女声二部合唱:「紀の国の歌」あてすぎて”. 国立国会図書館 歴史的音源. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “女声三部合唱:「紀の国の歌」こせやまの”. 国立国会図書館 歴史的音源. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “女声斉唱:「紀の国の歌」くるしくも”. 国立国会図書館 歴史的音源. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “サンタ・ルチア(澤崎定之指揮 東京音楽学校生徒 女声合唱”. YouTube. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “澤崎 定之 ~ 東京音楽学校生徒 ローレライ/ブラームスの子守歌(10インチ)”. ストレイト・レコーズ. 2020年2月8日閲覧。
- ^ a b “お手玉 文部省唱歌/沢崎定之”. d-score. 2020年2月8日閲覧。
- ^ a b “楽譜 単音唱歌 菊 (新調女声唱歌抜粋・其の十二)”. 日本の古本屋. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “鳥海中学校”. 一戸商工会. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “一戸町立鳥海中学校”. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “黒江小学校の歩み”. 海南市立黒江小学校. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “唱歌法の原理”. 日本の古本屋. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “基礎唱歌法”. 日本の古本屋. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “唱歌法 : 正しく美しい唱歌の基礎/澤崎定之著”. OPAC. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “マルケージ・澤崎作品二十一番 : 合本”. 学術DB 大学図書館の本. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “SP音源復刻盤 信時潔作品集成”. Amazon. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “ロームミュージックファンデーション SPレコード復刻CD集”. Amazon. 2020年2月8日閲覧。
- ^ “西條八十全集/生誕100年”. Joshin WEB SHOP. 2020年2月8日閲覧。