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*[[1946年]](昭和21年)12月、義兄(長姉の夫)の声楽家[[徳山璉]]生前の知遇を生かして[[日本放送協会]]ラジオ第一、第二放送の「仲良しクラブ」「子どもの話」「お早う番組」「今日の話題」「明日の暦」等の番組に匿名で原稿を執筆(下記著書の※1それぞれに収録)。(昭和33年)まで<ref name=":7">萩谷 朴『風物ことば十二カ月』 新潮選書、1998年</ref>。 |
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*[[1947年]](昭和22年) 9月~12月、戦前に池田亀鑑が編集顧問を務めた『[[少女の友]]』([[実業之日本社]])に、小説「こども今昔物語」を発表(下記著書の※2に収録)<ref name=":8">萩谷朴『ボクおじさんの昔話』 笠間書院、1986年</ref>。 |
*[[1947年]](昭和22年) 9月~12月、戦前に池田亀鑑が編集顧問を務めた『[[少女の友]]』([[実業之日本社]])に、小説「こども今昔物語」を発表(下記著書の※2に収録)<ref name=":8">萩谷朴『ボクおじさんの昔話』 笠間書院、1986年</ref>。 |
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*長姉・徳山寿子([[1902年]]~[[1992年]])は[[声楽家]][[徳山璉]]の妻で、[[坂本龍一]]もピアノ教室に通った音楽家。コップなどを使った創作楽器の演奏で活躍し、日本テレビ「徳山寿子のキッチン楽団(坂本も参加)」に出演していた[https://this.kiji.is/383391540724761697 。] |
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2020年8月25日 (火) 05:14時点における版
萩谷 朴(はぎたに ぼく、1917年11月9日 - 2009年1月24日)は、日本の国文学者。大東文化大学名誉教授、二松学舎大学名誉教授。日本文学大賞受賞者。
経歴
- 1917年(大正6年) 大阪府南区谷町四丁目(現在の大阪市中央区谷町)の医師・萩谷理平治・清江(すみえ)の三男として生まれる。名前の由来は『論語』「剛毅朴訥」に拠る。両親共に済生学舎を経て、母・清江は大阪初の女医で野口英世と同期生[1]。
- 1937年(昭和12年) 旧制浪速高等学校卒業。野間光辰の薫陶を受ける。同級生に庭山慶一郎、先輩に玉上琢弥、後輩に佐治敬三が在籍。
- 1937年(昭和12年) 東京帝国大学文学部国文学科入学。7月、池田亀鑑助教授(当時)の私邸・桃園文庫で大島本を底本とした現行『校異源氏物語』の校本作成に従事。(昭和17年10月まで)。
- 1938年(昭和13年)8月13日、京都帝国大学図書館に寄託されていた近衛家古文書の中から『類聚歌合』を発見[2]。
- 1939年(昭和14年) 池田亀鑑助教授と連名で『短歌研究』(改造社、2月号)に「廿巻本類聚歌合の研究」を発表、1月7日、朝日新聞紙上に「塵の中から百万円 国宝を掘り出す 師弟の協力実を結ぶ」と報道され、京大・東大を巻き込んだ大騒動となり、京大図書館主任の井川定慶が引責辞任。同論文で「堤中納言物語」の一編「逢坂越えぬ権中納言」の成立を「六条斎院物語合」の存在から天喜3年(1055年)5月3日、小式部の作と確定させる。ほぼ同時に京大大学院生・鹿嶋正二(のち堀部姓)が「堤中納言物語成立私考」「文学」(岩波書店、1939年2月)を発表[3][4][5]。
- 1940年(昭和15年) 東京帝国大学文学部国文学科卒業。卒業論文「平安朝文学の史的考察」(のちに白帝社から刊行)。大学院進学。引き続き、池田助教授の学位請求論文「古典の批判的処置に関する研究」を松村誠一、新井信之、木田園子らと共に協力。
- 1940年(昭和15年) 日本文化協会研究生。同会研究生の芳賀幸四郎、角川源義らと親交を結ぶ。
- 1942年(昭和17年) 同大学院修了。
- 1942年(昭和17年) 二松学舎専門学校教授、塚原鉄雄、益田勝実、竹内実らの才能を見出す。
- 1943年(昭和18年)3月、輜重兵として徴集され、インドネシアスマトラ島にて従軍[6]。
- 1946年(昭和21年)6月、復員。二松学舎専門学校教授。後に新制大学移行に伴い、二松学舎大学教授。
- 1946年(昭和21年)12月、義兄(長姉の夫)の声楽家徳山璉生前の知遇を生かして日本放送協会ラジオ第一、第二放送の「仲良しクラブ」「子どもの話」「お早う番組」「今日の話題」「明日の暦」等の番組に匿名で原稿を執筆(下記著書の※1それぞれに収録)。(昭和33年)まで[7]。
- 1947年(昭和22年) 9月~12月、戦前に池田亀鑑が編集顧問を務めた『少女の友』(実業之日本社)に、小説「こども今昔物語」を発表(下記著書の※2に収録)[8]。
- 1968年(昭和43年) 女子聖学院短期大学教授。
- 1969年(昭和44年) 大東文化大学教授。後に博士課程設置に伴い大学院教授。
- 1977年(昭和52年) 『枕草子』(新潮日本古典集成)により第9回日本文学大賞受賞。
- 1991年(平成3年) 大東文化大学定年退職、名誉教授。退職後23年を経て二松学舎大学も名誉教授号を贈呈。
- 2009年(平成21年) 多臓器不全にて死去。91歳。
著書
- 「国宝『内大臣殿歌合』解説」根津美術館、1943年
- 『平安朝文学の史的考察』 白帝社、1969年 ※東京帝国大学卒業論文を公刊
- 『ボクおじさんの昔話』 笠間書院、1986年(※2)
- 『歴史366日-今日はどんな日-』 新潮選書、1989年(※1)
- 『おもしろ奇語辞典』 新潮社、1990年
- 『おもいっきり侃侃』 河出書房新社、1990年
- 『ボクの大東亜戦争-心暖かなスマトラの人達、一輜重兵の思い出-』 新潮社、1992年
- 『本文解釈学』 河出書房新社、1994年
- 『風物ことば十二カ月』 新潮選書、1998年(※1)
- 『語源の快楽』 新潮文庫、2000年(『おもしろ奇語辞典』 新潮社、1990年を改題)
- 『紫式部の蛇足貫之の勇み足』 新潮選書、2000年
校注
- 『土佐日記 紀貫之全集』 朝日新聞社 1950年(日本古典全書)
- 『へいちうものがたり』 赤堤居私家版 1952年
- 『土佐日記新釈』要書房 1954年
- 『平安朝歌合大成』 全10巻 赤堤居私家版 1957-1969年 (東京大学国語国文学会賞〈久松潜一賞〉受賞)
- 『平安朝歌合古筆現在書目録』 赤堤居私家版 1958年
- 『平中全講』赤堤居私家版 1959年
- 『平中物語』 角川文庫 1960年
- 『日本古典文学大系 第74 歌合集』 谷山茂共校注 岩波書店 1965年
- 『土佐日記全注釈』 角川書店 1967年(日本古典評釈・全注釈叢書)
- 『松浦宮物語』 藤原定家 角川文庫 1970年
- 『紫式部日記全注釈』 角川書店 1971-1973年(日本古典評釈全注釈叢書)
- 『枕草子』 清少納言 新潮社 1977年(新潮日本古典集成)
- 『平中全講』(復刊)同朋舎 1978年
- 『平安朝歌合大成』 全10巻(復刊)同朋舎 1979年 /増補新訂 全5巻 1995-1996年
- 『枕草子解環』 全5巻 同朋舎 1981-1983年
- 『清少納言全歌集-解釈と評論-』笠間書院、1986年
- 『枕草子解釈の諸問題』 新典社、1991年(新典社注釈叢書)
- 『松浦宮全注釈』 若草書房 1997年
評伝
- 浅田 徹「萩谷朴―『平安朝歌合大成』への道」『戦後和歌研究者列伝』笠間書院. 2006年11月
- 上原作和「幻の『源氏物語全註釈』―萩谷朴小伝」「特集・『源氏物語』一千年の時空」『勉誠通信』7号 勉誠出版 2009年5月
参考文献
- 赤堤会編『萩谷朴 人と教育』赤堤会.1991年3月
- 萩谷朴「歌合巻発見と池田亀鑑先生・その一 その二」「水茎」16.17号 古筆学研究所 1994年3月.10月
- 萩谷朴「学史:知ラザルヲ知ラズトセヨ、之レ知ル也(上下)ゼロからの出発・学問の道」『古代文化』通巻477.478号、1998年10.11月号 古代学協会
- 萩谷朴 新潮社|著者プロフィール
関連人物
脚注
- ^ 萩谷朴『ボクの大東亜戦争-心暖かなスマトラの人達、一輜重兵の思い出-』 新潮社、1992年
- ^ 萩谷 朴「学史:知ラザルヲ知ラズトセヨ、之レ知ル也(上下)ゼロからの出発・学問の道」『古代文化』通巻477.478号、1998年10.11月号 古代学協会
- ^ 神野藤昭夫・解説『日本文学研究資料叢書 平安朝物語 Ⅲ』、有精堂出版、1979年
- ^ 萩谷 朴「学史:知ラザルヲ知ラズトセヨ、之レ知ル也(上下)ゼロからの出発・学問の道」『古代文化』通巻477.478号、1998年10.11月号 古代学協会
- ^ 浅田 徹「萩谷朴―『平安朝歌合大成』への道」『戦後和歌研究者列伝』笠間書院. 2006年11月
- ^ 萩谷朴『ボクの大東亜戦争-心暖かなスマトラの人達、一輜重兵の思い出-』 新潮社、1992年
- ^ 萩谷 朴『風物ことば十二カ月』 新潮選書、1998年
- ^ 萩谷朴『ボクおじさんの昔話』 笠間書院、1986年
関連項目
- タニマチ
- 長姉・徳山寿子(1902年~1992年)は声楽家徳山璉の妻で、坂本龍一もピアノ教室に通った音楽家。コップなどを使った創作楽器の演奏で活躍し、日本テレビ「徳山寿子のキッチン楽団(坂本も参加)」に出演していた。