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「日の丸行進曲」の版間の差分

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[[大阪毎日新聞]]、[[東京日日新聞]]が募集した懸賞歌で、1938年[[2月11日]]から[[2月28日]]まで募集し、応募数は2万3805通<ref>[[倉田喜弘]]『日本レコード文化史』[[東京書籍]](東書選書 124)、1992年、204頁。ISBN 4-487-72224-1。</ref>であった。そして、同年3月10日に発表された。
[[大阪毎日新聞]]、[[東京日日新聞]]が募集した懸賞歌で、1938年[[2月11日]]から[[2月28日]]まで募集し、応募数は2万3805通<ref>[[倉田喜弘]]『日本レコード文化史』[[東京書籍]](東書選書 124)、1992年、204頁。ISBN 4-487-72224-1。</ref>であった。そして、同年3月10日に発表された。


作詞は[[有本憲次]]、作曲は[[細川武夫]]。吹き込みは、[[徳山たまき|徳山璉]]、波岡惣一郎、四家文子、[[中村淑子]]、[[能勢妙子]]、[[江戸川蘭子]]で、神田今川橋のビクタースタジオではなく赤坂溜池の三会堂ビルの最上階講堂を使用して録音されたので残響が豊かである。伴奏は日本ビクター管絃楽団と表記されているが、間奏部分の金管楽器の演奏技量・内藤清五遺品のレコード・特約店に配布の広報誌ビクターの録音当日の写真が伴奏楽団を避ける構図である事から海軍軍楽隊の隊員の一部が参加している可能性が高い。
作詞は[[有本憲次]]、作曲は[[細川武夫]]。吹き込みは、[[徳山璉]]、波岡惣一郎、四家文子、[[中村淑子]]、[[能勢妙子]]、[[江戸川蘭子]]で、神田今川橋のビクタースタジオではなく赤坂溜池の三会堂ビルの最上階講堂を使用して録音されたので残響が豊かである。伴奏は日本ビクター管絃楽団と表記されているが、間奏部分の金管楽器の演奏技量・内藤清五遺品のレコード・特約店に配布の広報誌ビクターの録音当日の写真が伴奏楽団を避ける構図である事から海軍軍楽隊の隊員の一部が参加している可能性が高い。


ビクターの大宣伝も功を奏し、15万枚のレコードを売った。
ビクターの大宣伝も功を奏し、15万枚のレコードを売った。
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! !! 曲名 !! 作詞 !! 作曲 !! 編曲 !! 歌
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2020年8月25日 (火) 05:13時点における版

日の丸行進曲

日の丸行進曲』(ひのまるこうしんきょく)は、1938年(昭和13年)3月10日ビクターレコードから発売された国民歌レコード番号J-54300。

大阪毎日新聞東京日日新聞が募集した懸賞歌で、1938年2月11日から2月28日まで募集し、応募数は2万3805通[1]であった。そして、同年3月10日に発表された。

作詞は有本憲次、作曲は細川武夫。吹き込みは、徳山璉、波岡惣一郎、四家文子、中村淑子能勢妙子江戸川蘭子で、神田今川橋のビクタースタジオではなく赤坂溜池の三会堂ビルの最上階講堂を使用して録音されたので残響が豊かである。伴奏は日本ビクター管絃楽団と表記されているが、間奏部分の金管楽器の演奏技量・内藤清五遺品のレコード・特約店に配布の広報誌ビクターの録音当日の写真が伴奏楽団を避ける構図である事から海軍軍楽隊の隊員の一部が参加している可能性が高い。

ビクターの大宣伝も功を奏し、15万枚のレコードを売った。

曲名 作詞 作曲 編曲
A 日の丸行進曲 有本憲次 細川武夫 徳山璉、波岡惣一郎、四家文子、中村淑子能勢妙子江戸川蘭子
B 日章旗の下に 佐藤春夫 中山晋平 四家文子波岡惣一郎

脚注

  1. ^ 倉田喜弘『日本レコード文化史』東京書籍(東書選書 124)、1992年、204頁。ISBN 4-487-72224-1