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2020年8月25日 (火) 05:07時点における版
鄭謙 | |
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プロフィール | |
出生: | 1876年(清光緒2年) |
死去: |
1929年(民国18年)1月28日 中華民国遼寧省瀋陽市 |
出身地: | 清江蘇省鎮江府溧陽県 |
職業: | 軍人・政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 鄭謙 |
簡体字: | 郑谦 |
拼音: | Zhèng Qiān |
ラテン字: | Cheng Ch'ien |
和名表記: | てい けん |
発音転記: | ジョン チェン |
鄭 謙(てい けん)は中華民国の政治家、軍人。北京政府、奉天派で事務方をつとめた人物である。字は鳴之。
事跡
日本に留学し、法政大学を卒業した。その後、雲貴総督署参事、憲政籌備処参事、安徽国税庁籌備処坐弁、皖北税務局局長を歴任した。
1917年(民国6年)6月、黒竜江督署秘書長に就任する。同年11月、同省政務庁庁長に異動した。1920年(民国9年)、北京政府陸軍部参事に任命される。1922年(民国11年)、奉天派の張作霖の下で東三省保安司令部秘書長となった。
1925年(民国14年)2月、江蘇省省長に任命され、8月に一時的に江蘇督弁を兼任した。まもなく、楊宇霆が江蘇督弁となり、鄭謙は省長専任となっている。直隷派の孫伝芳に楊が敗北すると、同年12月に鄭も辞任に追い込まれた。
1926年(民国15年)、顔恵慶内閣で内務総長に任命されたが、実際には就任しなかった。まもなく、安国軍司令部秘書長に任命されている。張作霖爆殺後に張学良が後継した後も、1928年(民国17年)7月に東北保安司令部秘書長を引き続きつとめている。
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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