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本拠球場は{{仮リンク|天津道奇棒球場|zh|天津道奇棒球场}}(天津ドジャースタジアム、[[ロサンゼルス・ドジャース|ドジャース]]の[[ピーター・オマリー]]前会長が寄贈した。観客席2500席、1986年に完成)。
本拠球場は{{仮リンク|天津道奇棒球場|zh|天津道奇棒球场}}(天津ドジャースタジアム、[[ロサンゼルス・ドジャース|ドジャース]]の[[ピーター・オマリー]]前会長が寄贈した。観客席2500席、1986年に完成)。


[[横浜DeNAベイスターズ]]と業務提携を結んでおり、[[横浜DeNAベイスターズ (ファーム)]]へコーチや選手の派遣や、横浜DeNAベイスターズからのコーチの受け入れなどの交流が行われている<ref>天津ライオンズからは、[[育成選手制度 (日本プロ野球)#研修生|研修生]]としての派遣であり、[[イースタン・リーグ チャレンジ・マッチ]]や[[教育リーグ]]への出場に限られ[[イースタン・リーグ|イースタン・リーグ公式戦]]への出場はなかったが、2009年に[[陳ウェイ|陳瑋]]と[[王靖超]]が初めて[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手契約]]を結んだ。
[[横浜DeNAベイスターズ]]と業務提携を結んでおり、[[横浜DeNAベイスターズ (ファーム)]]へコーチや選手の派遣や、横浜DeNAベイスターズからのコーチの受け入れなどの交流が行われている<ref>天津ライオンズからは、[[育成選手制度 (日本プロ野球)#研修生|研修生]]としての派遣であり、[[イースタン・リーグ チャレンジ・マッチ]]や[[教育リーグ]]への出場に限られ[[イースタン・リーグ|イースタン・リーグ公式戦]]への出場はなかったが、2009年に[[陳瑋]]と[[王靖超]]が初めて[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手契約]]を結んだ。


一方、[[横浜DeNAベイスターズ]]からは、当時スカウトだった[[松岡功祐]]が、2007年にコーチとして派遣され、以降、臨時的なコーチとしてではなく、シーズンを通してベンチ入りするコーチとして就任している。</ref>。[[2010年]]シーズンは横浜から[[高木由一]](一軍監督)、[[三浦正行]](二軍監督)の両名が派遣された。
一方、[[横浜DeNAベイスターズ]]からは、当時スカウトだった[[松岡功祐]]が、2007年にコーチとして派遣され、以降、臨時的なコーチとしてではなく、シーズンを通してベンチ入りするコーチとして就任している。</ref>。[[2010年]]シーズンは横浜から[[高木由一]](一軍監督)、[[三浦正行]](二軍監督)の両名が派遣された。
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*{{Flagicon|CHN}} [[李文明]]
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*{{Flagicon|CHN}} [[呂建剛]]
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*{{Flagicon|CHN}} [[陳ウェイ|陳瑋]](元・横浜ベイスターズ[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]])
*{{Flagicon|CHN}} [[陳瑋]](元・横浜ベイスターズ[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]])


;捕手
;捕手

2020年8月25日 (火) 03:27時点における版

天津ライオンズ
創設 1950
所属リーグ
中国プロ野球連盟
歴代チーム名

(プロ野球チームとして)

  • 天津ライオンズ(2002年 - )
本拠地
天津道奇棒球場中国語版
収容人員 3000人
天津市
(プロ野球チームとして)
天津市(2002年 - )
獲得タイトル
成績(タイトル以外)
シリーズ出場(9回)
太字は勝利した年)
2002,2003,2004,2005,2006,2007,2008,2011,2014
球団組織
監督 焦益
テンプレートを表示
天津ライオンズ
各種表記
繁体字 天津雄獅隊
簡体字 天津雄狮队
拼音 Tiānjīn Xióngshīduì
発音: ティエンジン ションシードゥイ
英文 Tianjin Lions
テンプレートを表示

天津ライオンズ(テンシン・ライオンズ)は、中華人民共和国天津市を本拠地とする中国プロ野球連盟のチーム。

本拠球場は天津道奇棒球場中国語版(天津ドジャースタジアム、ドジャースピーター・オマリー前会長が寄贈した。観客席2500席、1986年に完成)。

横浜DeNAベイスターズと業務提携を結んでおり、横浜DeNAベイスターズ (ファーム)へコーチや選手の派遣や、横浜DeNAベイスターズからのコーチの受け入れなどの交流が行われている[1]2010年シーズンは横浜から高木由一(一軍監督)、三浦正行(二軍監督)の両名が派遣された。

沿革

  • 1975年 第3回全国体育大会優勝。
  • 1999年 第9回全国体育大会優勝。
  • 2002年 北京タイガースとの中国シリーズを制して、中国野球リーグの初代チャンピオンに輝く。
  • 2003年 中国シリーズに進出し、北京タイガースと対決。2勝3敗で準優勝。
  • 2004年 この年も中国シリーズに進出。昨年同様2勝3敗で2年連続2度目の準優勝。
  • 2005年 4年連続の中国シリーズ進出。0勝3敗で3年連続の準優勝、北京タイガースの3連覇を許す。
  • 2006年 中国シリーズに進出し、広東レオパーズとの対決。3勝0敗で4年ぶりの優勝を果たす。
  • 2007年 中国シリーズで広東レオパーズと2年連続の対決。3勝1敗で連覇を果たす。
  • 2008年 年間成績19勝2敗、中国シリーズで北京タイガースと対決し、3勝0敗で3連覇を果たす。中国プロ野球としては初めて単独チームでアジアシリーズ2008年のアジアシリーズ)に出場決定[2]
  • 2011年 3年ぶりに中国シリーズに出場。広東レオパーズを3勝1敗で下し5度目の優勝。

主な所属選手

投手
捕手
内野手
外野手

かつて所属した主な選手

投手
野手

かつて所属した外国籍選手

脚注

  1. ^ 天津ライオンズからは、研修生としての派遣であり、イースタン・リーグ チャレンジ・マッチ教育リーグへの出場に限られイースタン・リーグ公式戦への出場はなかったが、2009年に陳瑋王靖超が初めて育成選手契約を結んだ。 一方、横浜DeNAベイスターズからは、当時スカウトだった松岡功祐が、2007年にコーチとして派遣され、以降、臨時的なコーチとしてではなく、シーズンを通してベンチ入りするコーチとして就任している。
  2. ^ アジアシリーズ2008 出場チーム

外部リンク