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[[ソウル高等学校]]卒業後、[[斗山ベアーズ]]に入団し、[[2007年]]に高卒ルーキーながら主にロングリリーフで64[[試合]]に[[登板]]、7勝をあげ最優秀新人を受賞した。[[2008年]][[2008年北京オリンピック|北京五輪]][[2008年北京オリンピックの野球競技・韓国代表|野球韓国代表]]の最終エントリーに残ったが、大会直前の[[野球キューバ代表|キューバ]]との練習試合で不安定な姿を見せるなど状態が悪いと判断され、[[尹錫珉]]([[起亜タイガース|起亜]])に交代となり、五輪には出場できなかった。


[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009年ワールド・ベースボール・クラシック]]([[ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]])では、大会開幕前の強化試合で不安定な姿を見せた[[黄斗聖]]([[ネクセン・ヒーローズ|ネクセン]])に代わり、急遽[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック大韓民国代表|韓国代表]]に合流した。1次ラウンドの緒戦の[[野球台湾代表|台湾]]戦では9-0と大量リードを奪ったあとの4番手として登板するなど、大会を通して目立った場面での起用はなかった。シーズンはリリーフだけでチーム最多タイの11勝を記録した。
[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009年ワールド・ベースボール・クラシック]]([[ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]])では、大会開幕前の強化試合で不安定な姿を見せた[[黄斗聖]]([[ネクセン・ヒーローズ|ネクセン]])に代わり、急遽[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック大韓民国代表|韓国代表]]に合流した。1次ラウンドの緒戦の[[野球台湾代表|台湾]]戦では9-0と大量リードを奪ったあとの4番手として登板するなど、大会を通して目立った場面での起用はなかった。シーズンはリリーフだけでチーム最多タイの11勝を記録した。

2020年8月24日 (月) 22:39時点における版

林 泰勳 (イム・テフン)
Tae-hun Lim
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 ソウル特別市
生年月日 (1988-09-28) 1988年9月28日(36歳)
身長
体重
183 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 1次ドラフト
初出場 KBO / 2007年4月11日
最終出場 KBO / 2014年10月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗 大韓民国
WBC 2009年
林泰勳
各種表記
ハングル 임태훈
発音: イムテフン
ローマ字 Lim Tae-hun
テンプレートを表示

林 泰勳(イム・テフン、임태훈、1988年9月28日 - )は、韓国ソウル特別市出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

斗山時代

ソウル高等学校卒業後、斗山ベアーズに入団し、2007年に高卒ルーキーながら主にロングリリーフで64試合登板、7勝をあげ最優秀新人を受賞した。2008年北京五輪野球韓国代表の最終エントリーに残ったが、大会直前のキューバとの練習試合で不安定な姿を見せるなど状態が悪いと判断され、尹錫珉(起亜)に交代となり、五輪には出場できなかった。

2009年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、大会開幕前の強化試合で不安定な姿を見せた黄斗聖(ネクセン)に代わり、急遽韓国代表に合流した。1次ラウンドの緒戦の台湾戦では9-0と大量リードを奪ったあとの4番手として登板するなど、大会を通して目立った場面での起用はなかった。シーズンはリリーフだけでチーム最多タイの11勝を記録した。

2010年はチーム事情によりリリーフから先発に転向し、9勝をあげた。当初広州アジア大会韓国代表には選ばれていなかったが、プレーオフでの好投が目に留まり、顔面麻痺などで入院し出場を辞退した金廣鉉(SK)の代役として出場することになった。大会では香港戦のみの登板だったが、韓国代表の優勝により兵役免除の恩恵を受けることができた。

2011年5月下旬、連続リリーフ失敗や私生活でのスキャンダルが原因で二軍へ降格した。同年9月に1軍へ復帰した。2012年は当初先発で起用されたが結果を残せず、不振が続いた。2015年6月、引退を希望し任意脱退選手として公示され斗山を退団[1]

日本独立リーグ時代

8月に日本独立リーグであるベースボール・チャレンジ・リーグ福井ミラクルエレファンツに入団した[2]

2018年10月24日付で福井を自由契約となった。

2019年以降は全所属の斗山から任意脱退しているためKBONPBCPBLのどの球団とも契約できず、事実上の引退状態である。

通算記録





















































W
H
I
P
2007 斗山 64 0 0 0 0 7 3 1 20 .700 416 101.1 77 2 36 6 5 93 2 1 28 27 2.40 1.12
2008 57 0 0 0 0 6 5 6 14 .545 354 87.0 69 6 28 2 0 83 3 0 34 33 3.41 1.12
2009 58 0 0 0 0 11 5 4 13 .688 353 88.1 67 3 24 2 3 85 1 0 30 30 3.06 1.03
2010 36 20 0 0 0 9 11 1 1 .450 578 130.2 134 27 47 0 12 103 6 1 83 77 5.30 1.39
2011 19 0 0 0 0 1 1 7 0 .500 79 19.0 16 3 7 2 1 13 0 0 8 8 3.79 1.21
2012 22 8 0 0 0 4 4 0 3 .500 232 50.1 53 5 36 2 1 33 2 0 30 26 4.65 1.77
2013 9 0 0 0 0 1 1 0 0 .500 60 10.1 18 1 11 0 0 13 0 0 13 13 11.32 2.81
2014 6 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 25 3.2 7 0 6 0 1 4 0 0 4 4 9.82 3.55
通算:8年 271 28 0 0 0 39 30 19 52 .565 2097 490.2 441 47 195 14 23 427 14 2 230 218 4.00 1.30
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル・受賞経歴

  • 最優秀新人(2007年)









































W
H
I
P
2015 福井 6 2 0 0 0 1.000 24.0 101 23 1 26 7 0 12 11 0 1 4.13 1.25
2016 17 7 6 0 0 .538 89.0 393 91 4 58 40 4 51 34 4 2 3.44 1.47
2017 28 4 5 1 0 .444 61.1 274 63 4 58 31 3 42 33 4 1 4.84 1.54
2018 32 0 1 7 0 .000 32.1 142 32 4 27 16 1 11 10 0 0 2.78 1.50
通算:4年 83 13 12 8 0 .520 206.2 910 209 13 169 94 8 116 88 8 4 3.84 1.47
  • 2018年度シーズン終了時

背番号

  • 51 (2007年 - 2015年途中)
  • 32 (2015年途中 - 2018年)

代表歴

脚注

  1. ^ '임태훈 은퇴' 두산, 재현된 투수 유망주 잔혹사, 2015년 6월 26일, 《MK 스포츠》
  2. ^ 전 두산 투수 임태훈, 일본 독립리그팀 입단, 2015년 8월 15일, 《연합뉴스》

関連項目

外部リンク