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12歳の時に父を失い母とともに乱を避けて山谷に身を潜める。15歳の時に県学生となり[[太学]]に入った。経義に通じ、最も輿地の学に精しく、[[閻若璩]]や[[顧祖禹]]とともに大清一統志の編集に関わった。[[康熙]]43年([[1704年]])に清の聖祖([[康熙帝]])の南巡に際し、主著『禹貢錐指』を献上して嘉納され、「耆年篤学」の四大字扁額を賜った。 |
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2020年8月24日 (月) 08:59時点における版
胡 渭(こ い、1633年 - 1717年)は、中国清代初期の儒学者。もとの名は渭生。字は朏明。号は東樵。湖州府徳清県の出身。
略歴
12歳の時に父を失い母とともに乱を避けて山谷に身を潜める。15歳の時に県学生となり太学に入った。経義に通じ、最も輿地の学に精しく、閻若璩や顧祖禹とともに大清一統志の編集に関わった。康熙43年(1704年)に清の聖祖(康熙帝)の南巡に際し、主著『禹貢錐指』を献上して嘉納され、「耆年篤学」の四大字扁額を賜った。
著作
- 『禹貢錐指』20巻 :酈道元の水経注によって、漢代や唐代以来の水流の変遷を明らかにした。
- 『易図明辯』10巻 :河図洛書・先天後天図などが後世の作であることを証明し、宋代の儒学者の誤謬を正した。
- 『洪範正論』5巻
- 『大学翼真』7巻
- 『儀礼鄭注句読』
- 『繹史』
参考文献
- 『清史稿』187
- 『国朝先正事略』131
- 『国朝漢学師承記』1
- 『清代樸学大師列伝』16
- 『清史列伝』68
- 『国朝耆献類徴』416
- 『碑傳集』131
- 『顔李師承記』3
- 『清儒学案小識』12
- 『文献徴存録』6
- 『国朝詩人徴略初編』3