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'''ラーフラバドラ'''({{lang-sa-short|Rāhulabhadra}}{{refnest|name="日本大百科全書"|[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%A9-1606122 「ラーフラバドラ」- 日本大百科全書(瓜生津隆真)]}}、羅睺羅、羅睺羅跋陀羅、200-300年頃<ref name="n430" />)は、[[3世紀]]頃の[[インド]]の思想家。[[龍樹]]を祖とする[[中観派]]に属する提婆([[アーリヤデーヴァ]])の後継者<ref name="n430">{{Cite book |和書 |author=中村元 |authorlink= |coauthors= |date=2005-07 |title=龍樹 |edition= |publisher=講談社 |volume= |page=430-431 |isbn= |series=講談社学術文庫}}</ref>。なお、龍樹の師であったとする異説もある{{refnest|name="日本大百科全書"}}。[[釈迦]]の子の[[ラーフラ]]とは別人。
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== 来歴 ==
== 来歴 ==

2020年8月21日 (金) 08:51時点における版

ラーフラバドラ: Rāhulabhadra[1]、羅睺羅、羅睺羅跋陀羅、200-300年頃[2])は、3世紀頃のインドの思想家。龍樹を祖とする中観派に属する提婆(アーリヤデーヴァ)の後継者[2]。なお、龍樹の師であったとする異説もある[1]釈迦の子の摩睺羅伽とは別人。

来歴

「付法蔵因縁伝」巻6に、「智慧が優れ、名徳は高く、美声と才能が有り、仏法の真理を深く悟り、邪説を打ち砕いた。」などと伝わるが、詳細は不詳[1]

作品

般若経」や「法華経」を讃えるをつくるが、無著の「順中論」、堅意の「入大乗論」、真諦訳「摂大乗論釈」などに断片が伝わるのみ[1]

注釈・出典

  1. ^ a b c d 「ラーフラバドラ」- 日本大百科全書(瓜生津隆真)
  2. ^ a b 中村元『龍樹』講談社〈講談社学術文庫〉、2005年7月、430-431頁。 

参考文献

  • 中村元 『龍樹』 講談社〈講談社学術文庫〉、2005年7月。