「厳武 (三国)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
1行目: | 1行目: | ||
'''厳 武'''(げん ぶ、? - ?)は、[[中国]][[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[呉 (三国)|呉]]の人物。字は'''子卿'''。従父は[[ |
'''厳 武'''(げん ぶ、? - ?)は、[[中国]][[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[呉 (三国)|呉]]の人物。字は'''子卿'''。従父は[[厳畯]]<ref>厳武は厳畯の再従子(いとこのこ)にあたる</ref>。『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』呉書[[趙達]]伝注に引く『呉録』に略伝がある。「'''八絶'''(江南八絶)」<ref>[[皇象]](書)、'''厳武'''(囲碁)、[[宋寿]](夢占い)、[[曹不興]](絵画)、[[鄭嫗]](人相判断)、[[呉範]](暦法・風占い)、[[劉惇]](天文・占数)、[[趙達]](九宮一算術)</ref>の一人。 |
||
== 生涯 == |
== 生涯 == |
2020年8月21日 (金) 08:50時点における版
厳 武(げん ぶ、? - ?)は、中国三国時代の呉の人物。字は子卿。従父は厳畯[1]。『三国志』呉書趙達伝注に引く『呉録』に略伝がある。「八絶(江南八絶)」[2]の一人。
生涯
囲碁に巧みで、その技量に並ぶものがいなかったという。
後の時代、葛洪が抱朴子の「辨問」にて「世の中には人によって、普通の人が及ばない技量を持つ者が『聖』と呼ばれる。したがって囲棋(囲碁)の比類なき使い手は、『棋聖』といわれている。故に、厳子卿(厳武)と馬綏明は正にそうであり、現在に至るまで『棋聖』という名をほしいままにしている」と述べている。
また弈旦評では「人中に龍あり、呉の厳子卿(厳武)・馬綏明は、この時、弈聖(碁聖)と呼ばれた」と述べている。