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2020年8月20日 (木) 00:33時点における版
曹 幹(そう かん、214年 - 261年)は、中国三国時代の魏の皇族。別名は曹良。父は曹操。母は陳姫。
姓名 | 曹幹 |
---|---|
時代 | 後漢時代 - 三国時代 |
生没年 | 214年(建安19年) - 261年(景元2年) |
字・別号 | 曹良(別名) |
本貫・出身地等 | 豫州沛国譙県 |
職官 | 〔不詳〕 |
爵位・号等 | 高平亭侯〔曹操〕→頼亭侯〔曹操〕 →弘農侯〔曹操〕→燕公〔曹魏〕 |
陣営・所属等 | 曹操→曹丕→曹叡 |
家族・一族 | 父:曹操 母:陳姫 異母兄:曹丕 甥:曹叡 |
初め高平亭侯に封じられたが、領国替えが続き、その間に侯から公に爵位が進められた。222年に河間王、232年に趙王に封じられた。234年、曹幹は禁令を犯し賓客と交際した。景初・正元・景元の各年間に加増が続き、計5千戸を領した。
母の陳姫は曹操の妾だったが、曹幹が3歳の時、亡くなった。そのため彼は王昭儀の手によって養育された。さらに彼が5歳の時、曹操の病が重くなった。『魏略』によると曹操は涙を流しながら、曹幹の異母兄の曹丕に「この子は5歳で両親を失おうとしている。よろしく頼む」と言い残した。曹操が死去すると曹丕(文帝)は曹幹を傍に置き、他の弟たちよりも厚遇したという。また曹幹が曹丕の事を父と呼んだため、曹丕は「私はお前の兄だ」と言って不憫に思い涙を流した。因みに曹丕と曹幹の年齢の差は数えで30もあった。
261年、47歳で没した。
小説『三国志演義』には登場しない。