「ヴァシリッサ・オルガ (駆逐艦)」の版間の差分
m →参考文献 |
|||
9行目: | 9行目: | ||
1942年3月、ヴァシリッサ・オルガは駆逐艦[[ジャガー (駆逐艦)|ジャガー]]、対潜とローラー1隻と共に[[トブルク]]へ向かうタンカーを護衛した。しかし、26日にジャガーがドイツ潜水艦によって沈められ、ヴァシリッサ・オルガがその乗員の救助に向かった間に護衛していたタンカーも別のドイツ潜水艦によって沈められてしまった。[[1942年]]5月、触礁し損傷。同年[[12月15日]]、[[マルタ]]南方で、[[イタリア]]の[[潜水艦]]ウアルシエク (Uarsciek) を[[イギリス海軍|イギリス]]の駆逐艦[[ペタード (駆逐艦)|ペタード]]([[:en:HMS Petard (G56)|HMS Petard]])と共同で沈める。[[1943年]][[1月18日]]から[[1月19日|19日]]または19日から20日の夜、ヴァリッサ・オルガはイギリスの駆逐艦[[ヌビアン (駆逐艦)|ヌビアン]]、[[パケナム (駆逐艦)|パケナム]]とともにイタリアの小型輸送船ストロンボリ (Stromboli) を撃沈している<ref>Chronology of the War at Sea 1939-194, p.225</ref><ref>Struggle for the Middle Sea, p.206</ref><!--この箇所についてのコメント[[ノート:ヌビアン (駆逐艦・2代)]]にあり。-->。[[6月2日]]、[[スパルティヴェント岬]](Cape Spartivento)沖でイギリスの駆逐艦[[ジャーヴィス (J級駆逐艦)|ジャーヴィス]]と共に水雷艇[[カストーレ (水雷艇)|カストーレ]] (Castore) 及び、小型の護衛艦X137に護衛されたイタリア船2隻を攻撃し4隻とも沈めた。 |
1942年3月、ヴァシリッサ・オルガは駆逐艦[[ジャガー (駆逐艦)|ジャガー]]、対潜とローラー1隻と共に[[トブルク]]へ向かうタンカーを護衛した。しかし、26日にジャガーがドイツ潜水艦によって沈められ、ヴァシリッサ・オルガがその乗員の救助に向かった間に護衛していたタンカーも別のドイツ潜水艦によって沈められてしまった。[[1942年]]5月、触礁し損傷。同年[[12月15日]]、[[マルタ]]南方で、[[イタリア]]の[[潜水艦]]ウアルシエク (Uarsciek) を[[イギリス海軍|イギリス]]の駆逐艦[[ペタード (駆逐艦)|ペタード]]([[:en:HMS Petard (G56)|HMS Petard]])と共同で沈める。[[1943年]][[1月18日]]から[[1月19日|19日]]または19日から20日の夜、ヴァリッサ・オルガはイギリスの駆逐艦[[ヌビアン (駆逐艦)|ヌビアン]]、[[パケナム (駆逐艦)|パケナム]]とともにイタリアの小型輸送船ストロンボリ (Stromboli) を撃沈している<ref>Chronology of the War at Sea 1939-194, p.225</ref><ref>Struggle for the Middle Sea, p.206</ref><!--この箇所についてのコメント[[ノート:ヌビアン (駆逐艦・2代)]]にあり。-->。[[6月2日]]、[[スパルティヴェント岬]](Cape Spartivento)沖でイギリスの駆逐艦[[ジャーヴィス (J級駆逐艦)|ジャーヴィス]]と共に水雷艇[[カストーレ (水雷艇)|カストーレ]] (Castore) 及び、小型の護衛艦X137に護衛されたイタリア船2隻を攻撃し4隻とも沈めた。 |
||
ヴァシリッサ・オルガは[[ハスキー作戦|シチリア島攻略作戦]]などに参加後、[[ドデカネス諸島 |
ヴァシリッサ・オルガは[[ハスキー作戦|シチリア島攻略作戦]]などに参加後、[[ドデカネス諸島戦役]]に投入された。その戦い中の[[1943年]][[9月18日]]には、[[スタンパリア島]]([[:en:Astypalaia|Stampalia]])の近くでイギリスの駆逐艦[[エクリプス (駆逐艦)|エクリプス]]、[[フォークナー (駆逐艦・2代)|フォークナー]]と共同で[[駆潜艇]]UJ2104に護衛された2隻の貨物船を攻撃して全滅させたが、[[9月26日]]に[[レロス島]]で[[ドイツ空軍]]機の攻撃により撃沈された。 |
||
==脚注== |
==脚注== |
2020年8月19日 (水) 03:28時点における版
ヴァシリッサ・オルガ(ギリシャ語:Βασίλισσα Όλγα)は、ギリシャ海軍のヴァシレフス・ゲオルギオス級の駆逐艦である。イギリスのヤーロー社で建造された。同型艦にヴァシレフス・ゲオルギオス(Vasilefs Georgios)がある。
艦歴
1937年に発注され、1938年に進水、1939年竣工した。1940年10月にイタリアがギリシャに侵攻を開始すると、オトラント海峡での敵補給路攻撃や、船団護衛などに従事した。ドイツのギリシャ侵攻後も船団護衛に従事していたが、ギリシャがドイツに占領された後はイギリス軍と共に、地中海やインド洋で護衛任務などに従事した。
1941年の11月から12月には、インドのカルカッタで修理や兵装の変更がおこなわれた。この際、魚雷発射管が高角砲に取り替えられたりしている。
1942年3月、ヴァシリッサ・オルガは駆逐艦ジャガー、対潜とローラー1隻と共にトブルクへ向かうタンカーを護衛した。しかし、26日にジャガーがドイツ潜水艦によって沈められ、ヴァシリッサ・オルガがその乗員の救助に向かった間に護衛していたタンカーも別のドイツ潜水艦によって沈められてしまった。1942年5月、触礁し損傷。同年12月15日、マルタ南方で、イタリアの潜水艦ウアルシエク (Uarsciek) をイギリスの駆逐艦ペタード(HMS Petard)と共同で沈める。1943年1月18日から19日または19日から20日の夜、ヴァリッサ・オルガはイギリスの駆逐艦ヌビアン、パケナムとともにイタリアの小型輸送船ストロンボリ (Stromboli) を撃沈している[1][2]。6月2日、スパルティヴェント岬(Cape Spartivento)沖でイギリスの駆逐艦ジャーヴィスと共に水雷艇カストーレ (Castore) 及び、小型の護衛艦X137に護衛されたイタリア船2隻を攻撃し4隻とも沈めた。
ヴァシリッサ・オルガはシチリア島攻略作戦などに参加後、ドデカネス諸島戦役に投入された。その戦い中の1943年9月18日には、スタンパリア島(Stampalia)の近くでイギリスの駆逐艦エクリプス、フォークナーと共同で駆潜艇UJ2104に護衛された2隻の貨物船を攻撃して全滅させたが、9月26日にレロス島でドイツ空軍機の攻撃により撃沈された。
脚注
参考文献
- Jurgen Rohwer, Chronology of the War at Sea 1939-1945, Naval institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2
- Vincent P. O'Hara, Struggle for the Middle Sea, Naval Institute Press, 2009, ISBN 978-1-59114-648-3