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建寧崇安([[福建省]])の出身。幼いときから[[開封]]に上京し、[[楊時]](亀山)に学び、荊門に行き師聖侯仲良に師事した。のちに父の学を伝えて衡山へと遊学し、晩年には[[張栻]](南軒)の師事を受けた。[[紹興 (宋)|紹興]]年間、父の余沢により右承務郎に任命されたが、[[秦檜]]が国政をほしいままにしているのを嫌がり就任しなかった。秦檜が死んだ後も、病を理由として官職を辞し、そのまま家で没することになった。 |
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かつて[[高宗 (宋)|高宗]]に上書して、金国が起こした「靖康の変」に復讐するよう進言したことは『[[宋史]]』本伝にくわしく記載された。 |
かつて[[高宗 (宋)|高宗]]に上書して、金国が起こした「靖康の変」に復讐するよう進言したことは『[[宋史]]』本伝にくわしく記載された。 |
2020年8月17日 (月) 14:24時点における版
胡宏(こ・こう、生没年未詳)は南宋初期の中国の儒学者。字は仁仲。五峰先生と称せられる。儒学者・胡安国の末子。
事績
建寧崇安(福建省)の出身。幼いときから開封に上京し、楊時(亀山)に学び、荊門に行き師聖侯仲良に師事した。のちに父の学を伝えて衡山へと遊学し、晩年には張栻(南軒)の師事を受けた。紹興年間、父の余沢により右承務郎に任命されたが、秦檜が国政をほしいままにしているのを嫌がり就任しなかった。秦檜が死んだ後も、病を理由として官職を辞し、そのまま家で没することになった。
かつて高宗に上書して、金国が起こした「靖康の変」に復讐するよう進言したことは『宋史』本伝にくわしく記載された。
学問・著作
- 『皇王大紀』80巻:万古から周朝末期までの帝王について記す。
- 『胡氏知言』:儒学上の意見を記す。張栻・呂祖謙が賞賛し、朱熹が駁論を書く。
- 『五峰集』:詩文集。末子・胡大時が編集。詩106首・書78巻・雑文44首
参考
- 『宋史』436/儒林伝
- 『宋元学案』42/「五峰学案」
- 『四庫全書』総目47・92・158