コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「高亮」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 「ギョウ」→「鄴」が記事名を含まれる記事の改名に伴うリンク修正依頼 (鄴) - log
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 祖姓・高姓の人物記事の改名に伴うリンク修正依頼 (高淯) - log
2行目: 2行目:


== 経歴 ==
== 経歴 ==
襄城王[[高イク|高淯]]の後を嗣いだ。[[徐州]][[刺史]]となったが、商人の財物を奪った罪で免官された。[[576年]]、[[後主 (北斉)|後主]]が[[北周]]の[[武帝 (北周)|武帝]]の軍に敗れて[[鄴]]に撤退すると、高亮も後主に従って鄴に入った。[[太尉]]・[[太傅]]の位に転じた。北周軍が鄴を攻撃すると、高亮は啓夏門で防戦にあたった。北斉の諸軍はみな戦わずして敗れ、北周軍は諸城門から入城したので、高亮の軍も敗走した。高亮は馬のまま太廟に入ると、慟哭して祖先に謝罪し、その後に北周軍に捕らえられた。[[関中]]に入ると、儀同の位を受け、辺境に流されて、龍州で死去した。
襄城王[[高淯]]の後を嗣いだ。[[徐州]][[刺史]]となったが、商人の財物を奪った罪で免官された。[[576年]]、[[後主 (北斉)|後主]]が[[北周]]の[[武帝 (北周)|武帝]]の軍に敗れて[[鄴]]に撤退すると、高亮も後主に従って鄴に入った。[[太尉]]・[[太傅]]の位に転じた。北周軍が鄴を攻撃すると、高亮は啓夏門で防戦にあたった。北斉の諸軍はみな戦わずして敗れ、北周軍は諸城門から入城したので、高亮の軍も敗走した。高亮は馬のまま太廟に入ると、慟哭して祖先に謝罪し、その後に北周軍に捕らえられた。[[関中]]に入ると、儀同の位を受け、辺境に流されて、龍州で死去した。


== 伝記資料 ==
== 伝記資料 ==

2020年8月17日 (月) 14:16時点における版

高 亮(こう りょう、生没年不詳)は、中国北斉皇族。襄城王。孝昭帝高演の庶出長男。母は桑氏。は彦道。

経歴

襄城王高淯の後を嗣いだ。徐州刺史となったが、商人の財物を奪った罪で免官された。576年後主北周武帝の軍に敗れてに撤退すると、高亮も後主に従って鄴に入った。太尉太傅の位に転じた。北周軍が鄴を攻撃すると、高亮は啓夏門で防戦にあたった。北斉の諸軍はみな戦わずして敗れ、北周軍は諸城門から入城したので、高亮の軍も敗走した。高亮は馬のまま太廟に入ると、慟哭して祖先に謝罪し、その後に北周軍に捕らえられた。関中に入ると、儀同の位を受け、辺境に流されて、龍州で死去した。

伝記資料

  • 北斉書』巻十 列伝第二
  • 北史』巻五十一 列伝第三十九