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[[太和 (魏)|太和]]6年([[232年]])、[[諡|諡号]]を追贈されて西郷哀侯となった。
[[太和 (魏)|太和]]6年([[232年]])、[[諡|諡号]]を追贈されて西郷哀侯となった。


曹操の曾孫にも同名の曹賛がおり、[[曹均]]の孫で琅邪王[[曹敏]]の子である。こちらは[[曹ズイ|曹蕤]]の跡を継いでいる。
曹操の曾孫にも同名の曹賛がおり、[[曹均]]の孫で琅邪王[[曹敏]]の子である。こちらは[[曹蕤]]の跡を継いでいる。


小説『[[三国志演義]]』には登場しない。
小説『[[三国志演義]]』には登場しない。

2020年8月17日 (月) 10:03時点における版

曹 賛(そう さん、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。の皇族。祖父は曹操。父は曹林

生涯

曹林の子として生まれたが、曹林の兄弟の曹玹が子の無いまま早死にすると、建安20年(215年)にその爵位と領国を継いだ。しかし、曹賛もまた早くに亡くなったため、曹丕(文帝)の命令で跡目はその実弟の曹壹が継いだという。

太和6年(232年)、諡号を追贈されて西郷哀侯となった。

曹操の曾孫にも同名の曹賛がおり、曹均の孫で琅邪王曹敏の子である。こちらは曹蕤の跡を継いでいる。

小説『三国志演義』には登場しない。