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2020年8月17日 (月) 05:30時点における版
中華人民共和国 湖南省 株洲市 | |
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中国中車株洲電力機車有限公司 | |
株洲市の位置 | |
簡体字 | 株洲 |
繁体字 | 株洲 |
拼音 | Zhūzhōu |
カタカナ転写 | ヂューヂョウ |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 湖南 |
行政級別 | 地級市 |
建置 | 1193年 |
地級市昇格 | 1956年 |
市委書記 | 陳君文 |
市長 | 王群 |
面積 | |
総面積 | 11,272 km² |
市区 | 462 km² |
人口 | |
総人口(2006) | 376.9 万人 |
経済 | |
GDP(2005) | 520億元元 |
電話番号 | 0731 |
ナンバープレート | 湘B |
市樹 | クスノキ |
市花 | ベニバナトキワマンサク |
公式ウェブサイト: http://www.zhuzhou.gov.cn/ |
株洲市(しゅしゅう-し)は中華人民共和国湖南省に位置する地級市。
湖南省の東部にある工業都市で、中国南部の鉄道網の中枢でもある。長沙市・湘潭市とともに、中国の製造業の中心の一つである「長株潭都市群」を構成する。
中華民国政府はかつて株洲に機関車工場(現在の株洲電力機車)などを建設し、鉱工業を育て「東方のルール地方」へとしようとした。毛沢東の時期には、核戦争などに備え内陸部に軍需産業や重工業を集中させる「三線軍工城市」建設が進む中で、株洲にも大型の工場が多数集積した。
改革開放後は国有企業・軍需企業が後退し民営企業が盛んになったが、重工業はなお相当な生産力を保持している。代表的なものには電気機関車、航空用エンジン、超硬合金、石油化学製品などがあり、いずれも国内市場でも相当の競争力をもつ。このほか、鉄道網の便利さから、市内の蘆淞区では雑貨市場と服装・靴・帽子などの市場が建ち、中国の中南部でも屈指の規模を誇る。
地理
湖南省の東部に位置し、湘江の中流に沿う。長沙市、湘潭市、衡陽市、郴州市、江西省に接する。
歴史
株洲は炎帝神農氏が埋葬された場所とされ、市内には宋代に建設された炎帝陵が現在も残っている。
行政区画として株洲が史書に登場するのは後漢末の214年(建安14年)に設置された建寧郡が初見である。627年(貞観元年)、唐朝により湘潭に編入された。南宋の1190年(紹熙元年)、株洲と改称され現在まで名称が継承されている。
中華人民共和国成立初期は湘潭県管轄の一集落・株洲鎮であったが、その後の重工業集積と経済発展に伴い人口が増大、1951年5月には県級市に昇格し、更に1956年には地級市に昇格し現在に至っている。
行政区画
5市轄区・1県級市・3県を管轄下に置く。
株洲市の地図 |
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年表
- 1956年11月30日 - 湖南省湘潭専区株洲市が地級市の株洲市に昇格。(1市)
- 1965年4月30日 - 一部が分立し、株洲県が発足。(1市1県)
- 1966年1月18日 - 郊区を設置。(1区1県)
- 1970年7月8日 - 郊区の一部が分立し、東区・南区・北区が発足。(4区1県)
- 1983年2月8日 - 湘潭地区攸県・茶陵県・酃県・醴陵県、郴州地区安仁県を編入。(4区6県)
- 1983年7月13日 - 安仁県が郴州地区に編入。(4区5県)
- 1985年5月24日 - 醴陵県が市制施行し、醴陵市となる。(4区1市4県)
- 1994年4月5日 - 酃県が炎陵県に改称。(4区1市4県)
- 1997年5月31日 (4区1市4県)
- 2010年 - 株洲県の一部が蘆淞区に編入。(4区1市4県)
- 2011年2月 - 株洲県の一部が天元区に編入。(4区1市4県)
- 2018年6月19日 - 株洲県が区制施行し、淥口区となる。(5区1市3県)
交通
株洲駅は中国の鉄道網の重要なハブであり、北京・広州間の京広線に上海・昆明間の滬昆線が交わっている。北の鄭州市とは「南株北鄭」と並び称される。