「王昌 (後漢)」の版間の差分
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小説『[[三国志演義]]』でも王昌は登場し、史実と同様に皇甫酈を見逃している。 |
小説『[[三国志演義]]』でも王昌は登場し、史実と同様に皇甫酈を見逃している。 |
2020年8月17日 (月) 03:37時点における版
王 昌(おう しょう、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の人物。
事跡
姓名 | 王昌 |
---|---|
時代 | 後漢時代 |
生没年 | 〔不詳〕 |
字・別号 | 〔不詳〕 |
出身地 | 〔不詳〕 |
職官 | 虎賁 |
爵位 | - |
所属・陣営等 | 献帝 |
家族・一族 | 〔不詳〕 |
興平2年(195年)、皇甫酈が李傕に取り入っていた侍中の胡邈と言い争いになると、献帝はその身を案じて皇甫酈を逃亡させた。果たして、胡邈の報告を受けた李傕は、皇甫酈を殺害しようと王昌に追跡を命じた[1]。しかし王昌は、皇甫酈が正しい人物であると考えていたため、故意にこれを見逃したのであった。以後、王昌は史書に見当たらない。
小説『三国志演義』でも王昌は登場し、史実と同様に皇甫酈を見逃している。
脚注
- ^ この点から考えると、王昌も胡邈と同様に李傕側の間者としての役割を果たしていた可能性もある。