「第二次世界大戦中の北極海における輸送船団」の版間の差分
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|caption=[[シェフィールド (軽巡洋艦)|シェフィールド]]艦上より望む輸送船団、1941年12月撮影 |
|caption=[[シェフィールド (軽巡洋艦)|シェフィールド]]艦上より望む輸送船団、1941年12月撮影 |
2020年8月16日 (日) 15:01時点における版
第二次世界大戦中の北極海における輸送船団 | |
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シェフィールド艦上より望む輸送船団、1941年12月撮影 | |
戦争:第二次世界大戦 | |
年月日:1941年8月 - 1945年5月 | |
場所:北海、ノルウェー海 | |
結果:連合国の勝利 | |
交戦勢力 | |
イギリス海軍 アメリカ海軍 カナダ海軍 |
ドイツ海軍 |
損害 | |
商船87隻、巡洋艦2隻、駆逐艦6隻、各種護衛艦艇8隻 | 巡洋戦艦1隻、駆逐艦3隻、潜水艦32隻、航空機多数 |
第二次世界大戦中の北極海における輸送船団では、第二次世界大戦中にソビエト連邦を支援する連合国軍の輸送船団と、それを巡り北極海およびノルウェー海で行われた軍事行動について述べる。
経緯
1941年6月にドイツは独ソ不可侵条約を破り、ソビエト連邦に侵攻を開始した。これに対しアメリカ、イギリスはレンドリース法によるソ連への物資や兵器の援助を決めた。
援助物資輸送ルートについては、太平洋ルート(アメリカ西海岸から、ウラジオストクやナホトカなどに船で物資を送り、シベリア鉄道で前線近くまで送り届ける)、イランルート、北極海ルートがあった。北極海ルートは距離が最も短く、船舶利用により大量輸送が行いやすいルートであった。援助物資の総量のうち、およそ2分の1が太平洋ルートを、およそ4分の1ずつがイランルートと北極海ルートを経由した。重量ベースではおよそ400万トンが北極海ルートによって運ばれた。
物資を運ぶ輸送船団はイギリスまたはアイスランドに集結し、ノルウェー海からバレンツ海を通りムルマンスクあるいはアルハンゲリスクへ向かうルートを通る。しかし、ノルウェーはドイツが占領しているため(ヴェーザー演習作戦)、なるべくそこから離れた結氷海域を航行した。それでも、輸送船団はノルウェーを基地とする航空機や水上艦艇、Uボートの攻撃に晒された。
最初の船団(ダーヴィシュ船団)は1941年8月21日にアイスランドを出航した。そしてドイツ降伏後の1945年5月30日までに合計で78の船団(ソ連発の復路船団も含む)が、この航路を行き来した。
主な戦い
- PQ17船団の戦い - 1942年6月にアイスランドを出発した船団。ドイツのUボートと航空機の攻撃で船団は壊滅した。
- バレンツ海海戦 - 1942年12月、ドイツ艦隊がJW51B船団を攻撃したが商船の損害はなかった。
- 北岬沖海戦 - 1943年12月、巡洋戦艦シャルンホルスト以下のドイツ艦隊がJW55Bを攻撃したが、逆にシャルンホルストが撃沈された。
関連作品
- 『ノーザンコンボイ』チャンピオンソフト、年、PC8801シリーズ。第二次世界大戦時の英米による第三次援ソ船団(FR77)を護衛しムルマンスクへ入港させるゲーム。
関連項目
参考文献
- Arnold Hague,The Allied Convoy System 1939-1945:Its Organization,Defence and Operation,Anapolis:Naval Institute Press,2000
- Richard Woodman,Arctic Convoys 1941-1945,Barnsley:Pen&Sword Maritime,2007
関連書籍
- 『女王陛下のユリシーズ号』 A・マクリーン著 ハヤカワ文庫 (援ソ船団の護衛艦を舞台にした小説)