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「アンソン (戦艦)」の版間の差分

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===第二次世界大戦===
===第二次世界大戦===
就役後、アンソンは[[本国艦隊]]の大半とともに[[北極海の戦い|北極海]]へと派遣され、[[ソ連]]との間で行き来する船団の護衛に従事した。1942年9月12日、アンソンは戦艦[[デューク・オブ・ヨーク (戦艦)|デューク・オブ・ヨーク]]」や[[軽巡洋艦]][[ジャマイカ (軽巡洋艦)|ジャマイカ]]」、[[駆逐艦]]群([[ケッペル (駆逐艦)|ケッペル]]、[[マッケイ (駆逐艦)|マッケイ]]、[[モントローズ (駆逐艦)|モントローズ]]、[[ブラハム (駆逐艦)|ブラハム]])とともに[[QP14船団]]の遠距離護衛部隊に属していた<ref>Rowher p.195</ref>。12月29日、アンソンは[[重巡洋艦]][[カンバーランド (重巡洋艦)|カンバーランド]]」や駆逐艦群([[フォレスター (駆逐艦)|フォレスター]]、[[イカルス (駆逐艦)|イカルス]]、[[インパルシヴ (駆逐艦)|インパルシヴ]])とともに[[JW51B船団]]の遠距離護衛を務めていた<ref>Rohwer p.219 </ref>。1943年1月23、24日にはアンソンは軽巡洋艦[[シェフィールド (軽巡洋艦)|シェフィールド]]、駆逐艦群([[エコー (駆逐艦)|エコー]]、[[エクリプス (駆逐艦)|エクリプス]]、[[フォークナー (駆逐艦・2代)|フォークナー]]、[[イングルフィールド (駆逐艦)|イングルフィールド]]、モントローズ、[[クイーンボロ (駆逐艦)|クイーンボロ]]、[[レイダー (駆逐艦)|レイダー]]、[[オルカン (駆逐艦)|オルカン]])とともに[[JW52船団]]の遠距離護衛を務めた。1月29日に[[RA52船団]]が[[コラ湾]]から出発すると、アンソンは軽巡洋艦シェフィールド、駆逐艦イングルフィールド、[[オリビ (駆逐艦)|オリビ]]、[[オビディアント (駆逐艦)|オビディアント]]、オルカンとともに1月30日からその遠距離護衛を行った<ref>Rohwer p.226 </ref>。
就役後、アンソンは[[本国艦隊]]の大半とともに[[第二次世界大戦中の北極海における輸送船団|北極海]]へと派遣され、[[ソ連]]との間で行き来する船団の護衛に従事した。1942年9月12日、アンソンは戦艦[[デューク・オブ・ヨーク (戦艦)|デューク・オブ・ヨーク]]」や[[軽巡洋艦]][[ジャマイカ (軽巡洋艦)|ジャマイカ]]」、[[駆逐艦]]群([[ケッペル (駆逐艦)|ケッペル]]、[[マッケイ (駆逐艦)|マッケイ]]、[[モントローズ (駆逐艦)|モントローズ]]、[[ブラハム (駆逐艦)|ブラハム]])とともに[[QP14船団]]の遠距離護衛部隊に属していた<ref>Rowher p.195</ref>。12月29日、アンソンは[[重巡洋艦]][[カンバーランド (重巡洋艦)|カンバーランド]]」や駆逐艦群([[フォレスター (駆逐艦)|フォレスター]]、[[イカルス (駆逐艦)|イカルス]]、[[インパルシヴ (駆逐艦)|インパルシヴ]])とともに[[JW51B船団]]の遠距離護衛を務めていた<ref>Rohwer p.219 </ref>。1943年1月23、24日にはアンソンは軽巡洋艦[[シェフィールド (軽巡洋艦)|シェフィールド]]、駆逐艦群([[エコー (駆逐艦)|エコー]]、[[エクリプス (駆逐艦)|エクリプス]]、[[フォークナー (駆逐艦・2代)|フォークナー]]、[[イングルフィールド (駆逐艦)|イングルフィールド]]、モントローズ、[[クイーンボロ (駆逐艦)|クイーンボロ]]、[[レイダー (駆逐艦)|レイダー]]、[[オルカン (駆逐艦)|オルカン]])とともに[[JW52船団]]の遠距離護衛を務めた。1月29日に[[RA52船団]]が[[コラ湾]]から出発すると、アンソンは軽巡洋艦シェフィールド、駆逐艦イングルフィールド、[[オリビ (駆逐艦)|オリビ]]、[[オビディアント (駆逐艦)|オビディアント]]、オルカンとともに1月30日からその遠距離護衛を行った<ref>Rohwer p.226 </ref>。


1943年7月、アンソンは[[ハスキー作戦]]の準備から敵の目をそらすための作戦に参加。10月、戦艦デューク・オブ・ヨークや[[アメリカ海軍]]重巡洋艦[[タスカルーサ (重巡洋艦)|タスカルーサ]]とともに[[リーダー作戦]]に参加。この作戦ではアメリカ[[空母]][[レンジャー (CV-4)|レンジャー]]の搭載機が[[ノルウェー]]沿岸でドイツ船舶に対する攻撃を行った。1944年2月、[[ベイリーフ作戦]]に参加し、[[自由フランス海軍]]の戦艦[[リシュリュー (戦艦)|リシュリュー]]や巡洋艦、駆逐艦とともにノルウェーの目標を攻撃する空母[[フューリアス (空母)|フューリアス]]を護衛した。4月3日、[[タングステン作戦]](ドイツ戦艦[[ティルピッツ (戦艦)|ティルピッツ]]に対する航空攻撃)に参加<ref name=C15>Chesneau (2004) p.15</ref>。この作戦ではアンソンは[[ヘンリー・ムーア]]中将の[[旗艦]]であった<ref>Rohwer p.314</ref>。
1943年7月、アンソンは[[ハスキー作戦]]の準備から敵の目をそらすための作戦に参加。10月、戦艦デューク・オブ・ヨークや[[アメリカ海軍]]重巡洋艦[[タスカルーサ (重巡洋艦)|タスカルーサ]]とともに[[リーダー作戦]]に参加。この作戦ではアメリカ[[空母]][[レンジャー (CV-4)|レンジャー]]の搭載機が[[ノルウェー]]沿岸でドイツ船舶に対する攻撃を行った。1944年2月、[[ベイリーフ作戦]]に参加し、[[自由フランス海軍]]の戦艦[[リシュリュー (戦艦)|リシュリュー]]や巡洋艦、駆逐艦とともにノルウェーの目標を攻撃する空母[[フューリアス (空母)|フューリアス]]を護衛した。4月3日、[[タングステン作戦]](ドイツ戦艦[[ティルピッツ (戦艦)|ティルピッツ]]に対する航空攻撃)に参加<ref name=C15>Chesneau (2004) p.15</ref>。この作戦ではアンソンは[[ヘンリー・ムーア]]中将の[[旗艦]]であった<ref>Rohwer p.314</ref>。

2020年8月16日 (日) 13:12時点における版

艦歴
建造 スワン・ハンター社
起工 1937年7月20日
進水 1940年2月24日
就役 1942年6月22日
退役 1951年11月
その後 1957年5月18日に廃棄処分
除籍
性能諸元
排水量 基準:36,727 トン
満載:42,076 トン
45,360トン(満載:1945年)
全長 227.1 m
全幅 31.4 m
吃水 10.5 m
機関 蒸気タービン4基4軸 110,000馬力
最大速 29.5ノット (54 km/h)
航続距離 6,000カイリ(14ノット時)
6.100カイリ(10ノット時(1945年時))
乗員 平時:1,553 - 1,558名
戦時:1,900名
兵装 竣工時:
35.6cm4連装砲塔 2基
同連装砲塔 1基
13.3cm連装両用砲 8基
2ポンド8連装ポンポン砲 6基
20mm単装機銃 18基
カタパルト1基

~1945年:
35.6cm45口径MkVII4連装砲 2基
同連装砲 1基
13.3cm50口径MkI連装両用砲 8基
2ポンド8連装ポンポン砲 8基
2ポンド4連装ポンポン砲 4基
40mm4連装機銃 2基
レーダー 竣工時:
273型 1基
281型 1基
282型 6基
284型 1基 (射撃管制)
285型 4基 (対空射撃管制)

~1945年:
262型 7基
274型 2基 (射撃管制)
275型 4基
277型 1基 (水上・対空警戒両用)
281B型 1基
282型 1基
293型 1基
艦載機 ウォーラス2機(常用)3機(最大)
モットー Nil desperandum - One mustn't give up hope

アンソン (HMS Anson, 79) は、イギリス海軍キング・ジョージ5世級戦艦。艦名はジョージ・アンソン提督に因む。

艦歴

アンソンはウォールズエンドスワン・ハンター造船所で1937年7月20日に起工し、1940年2月24日に進水した。当初はジョン・ジェリコー提督に因んで「ジェリコー」(Jellicoe)と命名される予定であったが、1940年2月に「アンソン」と改名された。第二次世界大戦中の1942年6月22日に竣工した。

第二次世界大戦

就役後、アンソンは本国艦隊の大半とともに北極海へと派遣され、ソ連との間で行き来する船団の護衛に従事した。1942年9月12日、アンソンは戦艦デューク・オブ・ヨーク」や軽巡洋艦ジャマイカ」、駆逐艦群(ケッペルマッケイモントローズブラハム)とともにQP14船団の遠距離護衛部隊に属していた[1]。12月29日、アンソンは重巡洋艦カンバーランド」や駆逐艦群(フォレスターイカルスインパルシヴ)とともにJW51B船団の遠距離護衛を務めていた[2]。1943年1月23、24日にはアンソンは軽巡洋艦シェフィールド、駆逐艦群(エコーエクリプスフォークナーイングルフィールド、モントローズ、クイーンボロレイダーオルカン)とともにJW52船団の遠距離護衛を務めた。1月29日にRA52船団コラ湾から出発すると、アンソンは軽巡洋艦シェフィールド、駆逐艦イングルフィールド、オリビオビディアント、オルカンとともに1月30日からその遠距離護衛を行った[3]

1943年7月、アンソンはハスキー作戦の準備から敵の目をそらすための作戦に参加。10月、戦艦デューク・オブ・ヨークやアメリカ海軍重巡洋艦タスカルーサとともにリーダー作戦に参加。この作戦ではアメリカ空母レンジャーの搭載機がノルウェー沿岸でドイツ船舶に対する攻撃を行った。1944年2月、ベイリーフ作戦に参加し、自由フランス海軍の戦艦リシュリューや巡洋艦、駆逐艦とともにノルウェーの目標を攻撃する空母フューリアスを護衛した。4月3日、タングステン作戦(ドイツ戦艦ティルピッツに対する航空攻撃)に参加[4]。この作戦ではアンソンはヘンリー・ムーア中将の旗艦であった[5]

1944年6月にアンソンは改装のため退役し、1945年3月まで艦隊には戻らなかった。復帰するとアンソンは太平洋艦隊に編入された。しかし、アンソンが到着する頃には太平洋戦争は終結していた。8月15日、香港日本軍の降伏を受けるためアンソンはイギリス艦隊とともにシドニーから香港へ向け出港した。また、アメリカ海軍の戦艦ミズーリ艦上での日本の降伏文書調印の際の東京湾在泊艦艇の1隻である[4]

戦後

アンソンは太平洋艦隊の第1戦艦戦隊旗艦を務め、香港再占領を援護した。短期間の修理の後、1946年2月にグロスター公爵公爵夫人を乗せるためアンソンはシドニーからホバートへ移動し、2人をシドニーまで運んだ[6]

1946年7月29日にアンソンはイギリスに戻った。1949年に予備艦となり、1951年にGare Lochへと曳航された[7]。1957年12月17日、スクラップとして売却された[8]

ギャラリー

脚注

  1. ^ Rowher p.195
  2. ^ Rohwer p.219
  3. ^ Rohwer p.226
  4. ^ a b Chesneau (2004) p.15
  5. ^ Rohwer p.314
  6. ^ Raven and Roberts p. 405
  7. ^ Chesneau (2004) pp.15-16
  8. ^ Garzke p.223

参考文献

  • Rohwer, Jürgen (2005). Chronology of the War at Sea 1939-1945: The Naval History of World War Two (Third Revised ed.). Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-59114-119-2 
  • Chesneau, Roger (2004). King George V Battleships. ShipCraft. 2. London: Chatham Publishing. ISBN 1-86176-211-9 
  • Raven, Alan; Roberts, John (1976). British Battleships of World War Two: The Development and Technical History of the Royal Navy's Battleship and Battlecruisers from 1911 to 1946. Annapolis, MD: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-817-4 
  • Garzke, William H., Jr.; Dulin, Robert O., Jr. (1980), British, Soviet, French, and Dutch Battleships of World War II, London: Jane's, ISBN 07106-0078-X 
  • 世界の艦船』増刊第67集

外部リンク