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== 略歴 ==
== 略歴 ==
[[ヴェッセルブレナーコーク]]([[:de:Wesselburenerkoog|Wesselburenerkoog]])の農家の出身。1930年に[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊(SS)]]に入隊(隊員番号4,759)。[[ポーランド侵攻]]の際には[[親衛隊大尉]]となり、[[親衛隊特務部隊]]の[[第1SS装甲師団|歩兵連隊「LSSAH」]]に属していた。1940年1月30日に[[親衛隊少佐]]となり、LSSAHに属する大隊の指揮官となり、[[ナチス・ドイツのフランス侵攻|西方戦]]や[[バルカン半島の]]を戦った。その後、LSSAHとともに1941年6月から始まった[[独ソ戦]]に転じ、1941年9月に[[騎士鉄十字章#騎士鉄十字章|騎士鉄十字章]]を受章。1942年秋に「LSSAH」師団の第2装甲擲弾兵連隊の指揮官となる。1943年1月30日に[[親衛隊大佐]]に昇進した。[[第三次ハリコフ攻防戦]]における勇戦が認められ、1943年2月25日に[[ドイツ十字章|ドイツ十字章金章]]を受章した。1943年4月7日に「LSSAH」師団長に就任し、7月1日には[[親衛隊上級大佐]]に昇進した。LSSAH師団は激しい損害を被りながらも多数の作戦に従事した。特に[[チェルカースィ]]ポケットに閉じ込められたドイツ軍5万人の救出に大きな功績を残した。1944年2月12日に[[親衛隊少将]]及び武装親衛隊少将に昇進するとともに[[騎士鉄十字章#柏葉付騎士鉄十字章|騎士鉄十字章柏葉章]]を受章。1944年6月からノルマンディー上陸作戦で乗り込んできたアメリカ軍とイギリス軍と戦った。しかし手痛い打撃を受け、ヴィッシュも両足を失う激しい負傷を負った。そのため1944年8月から[[ヴィルヘルム・モーンケ]]将軍が師団長に代えられた。ヴィッシュは8月末に[[騎士鉄十字章#柏葉・剣付騎士鉄十字章|騎士鉄十字章剣章]]を受けた。その後ドイツの敗戦まで病院にあった。イギリス軍の捕虜となり、1948年に釈放された。1990年には自叙伝「{{lang|de|Zwölf Jahre 1. Kompanie Leibstandarte SS Adolf Hitler. Ein Buch der Kameradschaft Oldendorf}}」を著した。
[[ヴェッセルブレナーコーク]]([[:de:Wesselburenerkoog|Wesselburenerkoog]])の農家の出身。1930年に[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊(SS)]]に入隊(隊員番号4,759)。[[ポーランド侵攻]]の際には[[親衛隊大尉]]となり、[[親衛隊特務部隊]]の[[第1SS装甲師団|歩兵連隊「LSSAH」]]に属していた。1940年1月30日に[[親衛隊少佐]]となり、LSSAHに属する大隊の指揮官となり、[[ナチス・ドイツのフランス侵攻|西方戦]]や[[バルカン戦線 (第二次世界大戦)]]を戦った。その後、LSSAHとともに1941年6月から始まった[[独ソ戦]]に転じ、1941年9月に[[騎士鉄十字章#騎士鉄十字章|騎士鉄十字章]]を受章。1942年秋に「LSSAH」師団の第2装甲擲弾兵連隊の指揮官となる。1943年1月30日に[[親衛隊大佐]]に昇進した。[[第三次ハリコフ攻防戦]]における勇戦が認められ、1943年2月25日に[[ドイツ十字章|ドイツ十字章金章]]を受章した。1943年4月7日に「LSSAH」師団長に就任し、7月1日には[[親衛隊上級大佐]]に昇進した。LSSAH師団は激しい損害を被りながらも多数の作戦に従事した。特に[[チェルカースィ]]ポケットに閉じ込められたドイツ軍5万人の救出に大きな功績を残した。1944年2月12日に[[親衛隊少将]]及び武装親衛隊少将に昇進するとともに[[騎士鉄十字章#柏葉付騎士鉄十字章|騎士鉄十字章柏葉章]]を受章。1944年6月からノルマンディー上陸作戦で乗り込んできたアメリカ軍とイギリス軍と戦った。しかし手痛い打撃を受け、ヴィッシュも両足を失う激しい負傷を負った。そのため1944年8月から[[ヴィルヘルム・モーンケ]]将軍が師団長に代えられた。ヴィッシュは8月末に[[騎士鉄十字章#柏葉・剣付騎士鉄十字章|騎士鉄十字章剣章]]を受けた。その後ドイツの敗戦まで病院にあった。イギリス軍の捕虜となり、1948年に釈放された。1990年には自叙伝「{{lang|de|Zwölf Jahre 1. Kompanie Leibstandarte SS Adolf Hitler. Ein Buch der Kameradschaft Oldendorf}}」を著した。


== 受章 ==
== 受章 ==

2020年8月16日 (日) 13:05時点における版

テオドール・ヴィッシュ
Theodor Wisch
渾名 テディ (Teddy)
生誕 (1907-12-13) 1907年12月13日
ドイツの旗 ドイツ帝国
プロイセンの旗 プロイセン王国
シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州英語版 ヴェッセルブレナーコークドイツ語版
死没 1995年1月11日(1995-01-11)(87歳没)
ドイツの旗 ドイツ
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の旗 シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州 ノルダーシュテットドイツ語版
所属組織

武装親衛隊

軍歴 1933年 - 1945年
最終階級 親衛隊少将及び武装親衛隊少将
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テオドール・ヴィッシュドイツ語: Theodor Wisch1907年12月13日1995年1月11日)は、ナチス・ドイツ武装親衛隊の将軍。 階級は親衛隊少将及び武装親衛隊少将(SS-Brigadeführer und Generalmajor der Waffen-SS)。

略歴

ヴェッセルブレナーコークWesselburenerkoog)の農家の出身。1930年に親衛隊(SS)に入隊(隊員番号4,759)。ポーランド侵攻の際には親衛隊大尉となり、親衛隊特務部隊歩兵連隊「LSSAH」に属していた。1940年1月30日に親衛隊少佐となり、LSSAHに属する大隊の指揮官となり、西方戦バルカン戦線 (第二次世界大戦)を戦った。その後、LSSAHとともに1941年6月から始まった独ソ戦に転じ、1941年9月に騎士鉄十字章を受章。1942年秋に「LSSAH」師団の第2装甲擲弾兵連隊の指揮官となる。1943年1月30日に親衛隊大佐に昇進した。第三次ハリコフ攻防戦における勇戦が認められ、1943年2月25日にドイツ十字章金章を受章した。1943年4月7日に「LSSAH」師団長に就任し、7月1日には親衛隊上級大佐に昇進した。LSSAH師団は激しい損害を被りながらも多数の作戦に従事した。特にチェルカースィポケットに閉じ込められたドイツ軍5万人の救出に大きな功績を残した。1944年2月12日に親衛隊少将及び武装親衛隊少将に昇進するとともに騎士鉄十字章柏葉章を受章。1944年6月からノルマンディー上陸作戦で乗り込んできたアメリカ軍とイギリス軍と戦った。しかし手痛い打撃を受け、ヴィッシュも両足を失う激しい負傷を負った。そのため1944年8月からヴィルヘルム・モーンケ将軍が師団長に代えられた。ヴィッシュは8月末に騎士鉄十字章剣章を受けた。その後ドイツの敗戦まで病院にあった。イギリス軍の捕虜となり、1948年に釈放された。1990年には自叙伝「Zwölf Jahre 1. Kompanie Leibstandarte SS Adolf Hitler. Ein Buch der Kameradschaft Oldendorf」を著した。

受章

国防軍軍報からの引用

日付 オリジナルの原稿 和訳 (英訳からの転訳)
1943年12月31日 Bei den schweren Abwehrkämpfen im Raum von Shitomir zeichnete sich die SS-Panzerdivision "Leibstandarte SS Adolf Hitler" unter Führung des SS-Oberführers Wisch durch vorbildlichen Kampfgeist besonders aus.[9] ジトーミル付近の防衛戦において、ヴィッシュ親衛隊上級大佐の率いるSS装甲師団 ライプシュタンダーテ SS アドルフ・ヒトラーはその模範的な敢闘精神によりとりわけ傑出したものを見せた。

出典

  1. ^ a b Thomas 1998, p. 447.
  2. ^ a b Berger 1999, p. 379.
  3. ^ a b Veit Scherzer: Die Ritterkreuzträger 1939-1945, Scherzers Militaer-Verlag, Ranis/Jena 2007, ISBN 978-3-938845-17-2, S.790
  4. ^ a b c Scherzer 2007, p. 790.
  5. ^ Fellgiebel 2000, pp. 449, 508.
  6. ^ Fellgiebel 2000, p. 78.
  7. ^ Fellgiebel 2000, p. 45.
  8. ^ Patzwall & Scherzer 2001, p. 517.
  9. ^ Die Wehrmachtberichte 1939–1945 Band 2, p. 636.


軍職
先代
ヨーゼフ・ディートリヒ
ナチス・ドイツの旗 第1SS装甲師団師団長
1943年4月7日 - 1944年8月20日
次代
ヴィルヘルム・モーンケ