コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「トルディ (戦車)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 第二次世界大戦の戦役関連記事・テンプレート改名に伴うリンク修正依頼 (バルカン戦線 (第二次世界大戦)) - log
29行目: 29行目:
この結果、[[1938年]]にL-60軽戦車のライセンス生産権を取得、L-60原型に細かな改修を加え、「'''38Mトルディ I 軽戦車'''(''38M Tordi I könnyű harckocsi'')」として採用、[[マーバグ|マーヴァグ社]](''MÁVAG'')、[[ガンツ (企業)|ガンズ社]](''GANZ'')に対し生産を指示した。生産は[[1940年]]に始まり、翌年5月までにトルディI(80輌)、トルディII(110輌)が完成、ハンガリーはこのトルディを装甲部隊の中核として大戦に突入した。
この結果、[[1938年]]にL-60軽戦車のライセンス生産権を取得、L-60原型に細かな改修を加え、「'''38Mトルディ I 軽戦車'''(''38M Tordi I könnyű harckocsi'')」として採用、[[マーバグ|マーヴァグ社]](''MÁVAG'')、[[ガンツ (企業)|ガンズ社]](''GANZ'')に対し生産を指示した。生産は[[1940年]]に始まり、翌年5月までにトルディI(80輌)、トルディII(110輌)が完成、ハンガリーはこのトルディを装甲部隊の中核として大戦に突入した。


[[1941年]]春の[[バルカン半島の|バルカン作戦]]を皮切りに、同年夏の[[バルバロッサ作戦]]にハンガリー「快速軍団」下の5個[[中隊]]がトルディを装備、南方軍の一翼として[[ソビエト連邦]]領内深くに侵攻したが、11月までに装備したトルディの8割が大破もしくは行動不能になるなど消耗は激しく、部隊は本国に引き揚げられた。
[[1941年]]春の[[バルカン戦線 (第二次世界大戦)|バルカン作戦]]を皮切りに、同年夏の[[バルバロッサ作戦]]にハンガリー「快速軍団」下の5個[[中隊]]がトルディを装備、南方軍の一翼として[[ソビエト連邦]]領内深くに侵攻したが、11月までに装備したトルディの8割が大破もしくは行動不能になるなど消耗は激しく、部隊は本国に引き揚げられた。


非力な20mm砲と、最大でも13mmの軽装甲では強力なソ連戦車には対抗できないことは明らかで、回収されたトルディの一部は40mm砲に換装(トルディIIa)、また最初から40mm砲搭載を前提とした新砲塔搭載のトルディIII(43Mトルディ)も開発された。しかしそれでも性能不足は否めず、その後のハンガリー装甲部隊の主力は[[トゥラーン (戦車)|トゥラーン中戦車]]や、ドイツからもたらされた[[LT-38]]、[[IV号戦車]]などが担うことになる。
非力な20mm砲と、最大でも13mmの軽装甲では強力なソ連戦車には対抗できないことは明らかで、回収されたトルディの一部は40mm砲に換装(トルディIIa)、また最初から40mm砲搭載を前提とした新砲塔搭載のトルディIII(43Mトルディ)も開発された。しかしそれでも性能不足は否めず、その後のハンガリー装甲部隊の主力は[[トゥラーン (戦車)|トゥラーン中戦車]]や、ドイツからもたらされた[[LT-38]]、[[IV号戦車]]などが担うことになる。

2020年8月16日 (日) 13:02時点における版

トルディ
トルディI
性能諸元
全長 4.75 m
全幅 2.14 m
全高 1.872 m
重量 8.5 t
懸架方式 トーションバー
速度 50 km/h
行動距離 200 km
主砲 20mm戦車砲36M×1
副武装 8mm機関銃34/37A×1
装甲 5~13mm
エンジン BussingNAG Type L8V/36TR
155 馬力
乗員 3 名
テンプレートを表示

トルディハンガリー語: Toldi)は、第二次世界大戦中、ハンガリーで使用された軽戦車である。スウェーデンランズベルク L-60をもとに、ハンガリー初の国産戦車としてライセンス生産され、1940年から1944年までに各型合わせて約200輌が生産された。

“トルディ(Toldi)”は14世紀ハンガリーの民族的英雄の名である。

概要

ドイツ同様、第一次世界大戦の敗戦国として軍備を制限されていたハンガリーだが、1930年代後半に入ると軍備拡張を始め、イタリアからフィアット・アンサルド L3豆戦車143輌を輸入。これに続き、1937年にはドイツからI号戦車A型、スウェーデンからはランズベルク社(Landsverk AB)製L-60軽戦車を入手、テストが行われた。

この結果、1938年にL-60軽戦車のライセンス生産権を取得、L-60原型に細かな改修を加え、「38Mトルディ I 軽戦車38M Tordi I könnyű harckocsi)」として採用、マーヴァグ社MÁVAG)、ガンズ社GANZ)に対し生産を指示した。生産は1940年に始まり、翌年5月までにトルディI(80輌)、トルディII(110輌)が完成、ハンガリーはこのトルディを装甲部隊の中核として大戦に突入した。

1941年春のバルカン作戦を皮切りに、同年夏のバルバロッサ作戦にハンガリー「快速軍団」下の5個中隊がトルディを装備、南方軍の一翼としてソビエト連邦領内深くに侵攻したが、11月までに装備したトルディの8割が大破もしくは行動不能になるなど消耗は激しく、部隊は本国に引き揚げられた。

非力な20mm砲と、最大でも13mmの軽装甲では強力なソ連戦車には対抗できないことは明らかで、回収されたトルディの一部は40mm砲に換装(トルディIIa)、また最初から40mm砲搭載を前提とした新砲塔搭載のトルディIII(43Mトルディ)も開発された。しかしそれでも性能不足は否めず、その後のハンガリー装甲部隊の主力はトゥラーン中戦車や、ドイツからもたらされたLT-38IV号戦車などが担うことになる。

バリエーションおよび派生型

38M トルディI(トルディA20)
トルディの最初の生産型。80輌が生産された。原型L-60のマドセン20mm対戦車ライフルと7.92mm機銃は、ハンガリーでライセンス生産されていたゾロターン S-18/100(ハンガリー名称 36M)20mm対戦車ライフルと国産のM34/37A 8mm機関銃に替えられた。
38M トルディII(トルディB20)
トルディIと同じ仕様だが、エンジンがハンガリー国内でライセンス生産されたものになるなど、各コンポーネントをすべて国産品にしたもの。サスペンショントーションバーも若干強化されていると言われる。110両が生産された。
38M トルディIIa(トルディB40)
実戦参加により威力不足が明らかになったため、トルディI/IIの主砲を51口径40mm42M戦車砲に換装したもの。部隊から回収された既存のトルディI/IIを改修して1943年から44年にかけて80輌が作られた。
43M トルディIII(トルディC40)
当初から40mm砲搭載を前提に改設計された砲塔を持つトルディの改良型。1944年に12輌が発注されたが、すでにこのクラスの軽戦車では性能不足が明白だったこと、生産現場ではトゥラーン中戦車の生産に注力していたことが重なり、結局、軍に引き渡された車輌はない[1]
トルディ救護車(トルディeü20)
1942年のドン戦線で救護用にトルディ軽戦車が使用された経験から、9輌もしくは12輌[2]のトルディI/IIが負傷者搬送型に改修された。砲塔右側のハッチが大型化され、医療機器のために20mm砲弾は184発に減らされた[3]。1944年の6~7月に、ガンズ社は改修車輌を軍に引き渡した[4]
トルディ対戦車自走砲
ドイツのマーダー系列(マルダーIIIIII)の成功に触発され、時代遅れとなったトルディの車体にドイツ製75mm対戦車砲Pak40を搭載した対戦車自走砲。1944年春に試作されたが、量産には移されなかった。

脚注

  1. ^ "A MAGYAR KIRALYI HONVEDSEG FEGYVERZETE", p66による。『戦車マガジン』1990年6月号には「1944年までにスペアパーツを使って、34両が作られた」とある。
  2. ^ 前者は"A MAGYAR KIRALYI HONVEDSEG FEGYVERZETE"、後者は"MAGYAR STEEL"
  3. ^ "A MAGYAR KIRALYI HONVEDSEG FEGYVERZETE", p72。
  4. ^ "A MAGYAR KIRALYI HONVEDSEG FEGYVERZETE", p72。

参考文献

  • 戦車マガジン社『戦車マガジン』1990年6月号: 中嶋俊秀「第2次大戦のハンガリー戦車」
  • Bonhardt Attila, Sarhidai Gyula, Winkler Lazalo "A MAGYAR KIRALYI HONVEDSEG FEGYVERZETE" ZRINYI KIADO(ハンガリー語)
  • Csaba Becze, Magyar Steel, STRATUS, 2006

関連項目