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== 子女 ==
== 子女 ==
*[[袁ギ|袁顗]](長子)
*[[袁顗]](長子)
*袁覬(末子、司徒従事中郎・武陵国内史、早逝)
*袁覬(末子、司徒従事中郎・武陵国内史、早逝)



2020年8月16日 (日) 11:38時点における版

袁 洵(えん しゅん、生没年不詳)は、南朝宋官僚本貫陳郡陽夏県

経歴

袁豹の子として生まれた。元嘉年間、顕官を歴任した。廬陵王劉紹が南中郎将・江州刺史となると、袁洵は南中郎長史・尋陽郡太守となり、南中郎府と江州の事務を代行した。元嘉末年、呉郡太守となった。453年(元嘉30年)、453年(元嘉30年)、劉劭文帝を殺害して帝を称すると、袁洵は建威将軍の号を加えられた。隨王劉誕が劉劭を討つべく起兵すると、袁洵はその下で先鋒をつとめ、輔国将軍の号を加えられた。劉劭の乱が平定されると、ほどなく死去した。征虜将軍の位を追贈された。は貞子といった。

子女

  • 袁顗(長子)
  • 袁覬(末子、司徒従事中郎・武陵国内史、早逝)

伝記資料