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2020年8月16日 (日) 08:51時点における版
『無門関』(むもんかん、繁: 無門關)は、中国南宋時代の無門慧開(1183年-1260年)[1]によって編まれた仏教書、または禅宗で禅書・公案集と呼ばれる著作[2]。禅宗の公案や仏教の故事を紹介するもので、本則に、無門の禅的な批評鑑賞である評唱(ひょうしょう)がつけられ、さらに俯瞰した頌(じゅ)と呼ばれる宗旨を込めた漢詩が付され、これらをもって1節(禅宗では1則)とし[2][3]、48の節(則)と序文、後序とからなる1巻本である。
概要
中国では、重要視されなかったようであり[3]、伝本が絶たれたとされるが[2]、日本には入宋した無本覚心(1207年-1298年)が無門慧開に直接参じ、帰国する際(1254年)に与えられたとされる巻本などが伝わる[4]。江戸時代に大いにもてはやされた[3]。ただし、今日流布しているのは広園寺(八王子市)蔵版の巻本で、無門の序文の前に習庵[5]序と表文[註 1]を、巻終(後序)の後に禅箴[註 2]、黄龍三關[註 3]のほか、孟珙[6]という居士が跋文(孟珙跋)を付し、さらに安晩[7]という流浪し僧寺に寓居したことのある南宋の上級官吏による跋文(安晩跋)と1則を加えて49則としたものである[4]。
西村恵信は、無門がなぜ48則としたのかは分からないとしている[4]。第1則の「趙州狗子(狗子仏性、趙州無字)」は、無門が直参した月林師観から無門自体が与えられた「犬に仏性はあるか」という公案で、無門は6年を経ても見当がつかないでいたが、月林の法座に列していたとき、斎鼓の音を聞いて廓然したとされる逸話があり、禅宗で最も知られた公案のひとつである[4]。
「羊頭を懸けて狗肉を売る(羊頭狗肉)」の句は本書による(第6則 世尊拈花)。
構成内容
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- 序 禅宗無門関
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- 透得此關 乾坤獨歩(此の関を透得せば 乾坤に独歩す)の頌曰で結んでいる。
- 1趙州狗子
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- 纔渉有無 喪身失命(わずかに有無に渉れば 喪身失命す)の頌曰で結んでいる。
- 2 百丈野狐
- 3 倶胝豎指
- 4 胡人無鬚
- 5 香嚴上樹
- 6 世尊拈花
- 7 趙州洗缽
- 8 奚中造車
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- 機輪轉處 達者猶迷 四維上下 南北東西(輪転の処に機して達者猶お迷う。四維上下 東西南北)の頌曰で結んでいる。
- 9 大通智勝
- 10 清稅孤貧
- 16 鐘聲七條
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- 會則事同一家 不會萬別千差 不會事同一家 會則萬別千差 の頌曰で結んでいる。
- ※同一群と万別千差は相対的といった意味合い。
- 24 離却語言
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- 進歩口喃喃 知君大罔措(歩を進めて口なんなんと 君知る大なる網のはからいを)の頌曰で結んでいる。
- 32 外道問仏
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- 不渉階梯 懸崖撒手(階梯を渉らず 懸崖に撒手す)の頌曰で結んでいる。
- 33 非心非仏
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- 逢人且説三分 未可全施一片(人に逢ってひとまず三分を説く。未だ全ては可ならず一片を施す)の頌曰で結んでいる。
- 35 倩女離魂
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- 雲月是同 渓山各異 萬福萬福 是一是二(雲月是れ同じ 渓山各々異る 萬福萬福 是一是二)の頌曰で結んでいる。
- ※「変成男子」参照。
- 36 路逢達道
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- 攔腮劈面拳 直下會便會(下骸を遮り割砕して挙し 直下に会すこと便会なり)の頌曰で結んでいる。
- ※攔=遮る、阻むの意。 腮=顎(あご)の意。 劈=さく、ひきさくの意。便會=~できる、するなどの意。
- 37 庭前栢樹
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- 言無展事 語不投機 承言者喪 滯句者迷(言展じる事なく 語機に投ぜず。言承る者なく 句滞る者迷う)の頌曰で結んでいる。
- ※趙州庭前栢樹の問答両者の言辞を絡めて評したもの(無門は評釈で「前無釋迦後無彌勒」と術している)。
- 41 達磨安心
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- 西來直指 事因囑起 撓聒叢林 元來是你(西来の直指 事は嘱するに因って起る。叢林かまびすしくみだすは 元来是れなんじ)の頌曰で結んでいる。
- 48 乾峰一路
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- 直饒著著在機先 更須知有向上竅(たとえ著著と機先に在るも 更に向上の竅有るを知るべし)の頌曰で結んでいる。
文献
- 『無門関』(古田紹欽訳注、角川文庫、1956年)
- 『無門関』(西村恵信訳注、岩波文庫、1994年、ワイド版、2004年)
- 『無門関を読む』(秋月龍珉、講談社学術文庫、2002年)
- 山本玄峰『無門関提唱』大法輪閣、1960年。
- 中村元他『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年。ISBN 4-00-080072-8。