「白虎通義」の版間の差分
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清代の研究書としては荘述祖『白虎通義考』、[[陳立 (清)|陳立]]『白虎通疏証』がある。『白虎通』は今文の説を多く引くために[[常州学派]](公羊学派)に珍重され、荘述祖や陳立も常州学派だった。[[中華民国]]では[[劉師培]]の研究がある。 |
清代の研究書としては荘述祖『白虎通義考』、[[陳立 (清)|陳立]]『白虎通疏証』がある。『白虎通』は今文の説を多く引くために[[常州学派]](公羊学派)に珍重され、荘述祖や陳立も常州学派だった。[[中華民国]]では[[劉師培]]の研究がある。 |
2020年8月14日 (金) 11:28時点における版
『白虎通義』(びゃっこつうぎ)は、後漢の章帝の時代に儒教経典の解釈について議論した結果を班固に命じてまとめさせた学術書であり、『白虎通義』は原書名である。『白虎通』、『白虎通徳論』とも呼ぶ。
由来
前漢の宣帝の甘露3年(紀元前51年)に未央宮の石渠閣で五経の異同を議論させ、正統な解釈を定めたことがあった。
後漢の章帝の建初4年(79年)11月から数か月かけて、かつての石渠閣の議論にならって白虎観で学者が集まって経典の解釈について議論させた。議論は五官中郎将の魏応が問を発し、侍中の淳于恭が議論をとりまとめて、最終的な判断を章帝が下すという方式で行われた[1]。結果を班固に編纂させた[2]。会議を開いた理由については『後漢書』に記載されていないが、当時対立していた今文と古文の学に関するものだったと考えられている。
書名は、『後漢書』肅宗孝章帝紀に『白虎議奏』、班彪列伝に『白虎通徳論』、儒林列伝には『通義』とする。これらが同一の書物をさすかどうかは議論が分かれる。清の荘述祖は蔡邕『蔡中郎集』に収める「巴郡太守謝版」によって[3]、『白虎奏議』が百篇以上から構成され、『白虎通義』とは異なると考えた。『四庫全書総目提要』では議奏の名前が『白虎通徳論』であって、それをもとに班固が撰述した書物の名前が『白虎通義』だとする[4]。周広業は『白虎通徳論』とは本来『白虎通』と『功徳論』という2つの書名を並べたもので(「功」が欠字)、宋以前には書名として見えず、誤りと考えた[5]。
内容
『白虎通義』には議論の過程に関する言及はなく、結論のみが記されている。
三綱(君臣・父子・夫婦)の概念は『白虎通義』においてはじめて明確に述べられた(「三綱五紀」の語は『春秋繁露』にも見えるが、それが何であるかを説明していない)。
後漢の公式の学問は今文であり、今文の説のみを採用しているが、日原利国によれば、王莽が古文学派の説を採用したため、王莽を否定する白虎観会議では表向き今文派を勝たせなければならなかったものの、『春秋左氏伝』が君父を重視するなど古文の説の中にも利用価値の高い思想が多かったため、実質的には今文・古文を包摂した内容になったとする[6]。
渡邉義浩によれば、王莽は儒教にもとづく政策を行ったが、当時の儒教が現実離れしていたために失敗し、白虎観会議で儒教の国教化が完成したとする[7]。
後漢の経学の特徴として緯書を引くことが多いのも特徴である。
構成
『白虎通義』は43篇からなり(三綱六紀を三綱と六紀に分けて44篇とすることもある)、10巻本では以下のように構成される。
- 巻1 爵 号 諡
- 巻2 五祀 社稷 礼楽
- 巻3 封公侯 京師 五行
- 巻4 三軍 誅伐 諫諍 郷射 致仕 辟雍 災変 耕桑
- 巻5 封禅 巡狩 考黜
- 巻6 王者不臣 蓍亀 聖人 八風 商賈
- 巻7 瑞贄 三正 三教 三綱六紀
- 巻8 情性 寿命 宗族 姓名 天地 日月 四時 衣裳 五刑 五経
- 巻9 嫁娶
- 巻10 紼冕 喪服 崩薨
テクスト
元の大徳9年(1305年)の刊本がある(四部叢刊所収)。『白虎通徳論』と題し、10巻から構成される。
各種叢書に収めるものは多く元大徳本に由来するが、2巻や4巻のものが多い(篇数は同じ)。
清代には盧文弨が小字宋本・元大徳本ほかを使って独自に校勘を行って『抱経堂叢書』に収録した。この本は4巻からなり、各巻をさらに上下に分ける。また逸文を加えている。
清代の研究書としては荘述祖『白虎通義考』、陳立『白虎通疏証』がある。『白虎通』は今文の説を多く引くために常州学派(公羊学派)に珍重され、荘述祖や陳立も常州学派だった。中華民国では劉師培の研究がある。
脚注
参考文献
- 日原利国「『白虎通義』研究緒論」『漢代思想の研究』研文出版、1986年、262-294頁。ISBN 4876360650。(もと『日本中国学会報』14、1962年)
- 渡邉義浩『王莽:改革者の孤独』大修館書店、2012年。ISBN 9784469232691。