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[[清]]初の[[叢書 (漢籍)|叢書]]である通志堂経解に収められたもの(通志堂本)と、18世紀に[[盧文弨]]が校訂した抱経堂本の2つが通常用いられる。盧文弨はまた『経典釈文攷証』を記している。これらの本は、[[明]]の文淵閣に蔵していた宋刻本を明末の葉林宗が写したものが元になっている。 |
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『[[十三経注疏]]』にも『経典釈文』が含まれているが、略されていたり本文が異なっていたりするので、使用には注意を要する。 |
2020年8月14日 (金) 11:28時点における版
『経典釈文』(けいてんしゃくもん)は、6世紀末に陳の陸徳明によって書かれた、経書に対する音義書である。南北朝時代までの伝統的な訓詁の集大成になっている。単に『釈文』とも呼ばれる。
概要
『経典釈文』の各巻頭には「唐国子博士兼太子中允贈斉州刺史呉県開国男陸徳明撰」とあるが、唐代の著作ではなく、陳の至徳元年(583年)に編纂を開始した[1]、6世紀末の著作である[2]。
『経典釈文』は全30巻で、「序録」・「周易音義」・「尚書音義」2巻・「毛詩音義」3巻・「周礼音義」2巻・「儀礼音義」・「礼記音義」4巻・「春秋左氏音義」6巻・「春秋公羊音義」・「春秋穀梁音義」・「孝経音義」・「論語音義」・「老子道経・徳経音義」・「荘子音義」3巻・「爾雅音義」2巻で構成される。『老子』・『荘子』が含まれるところが南朝的である。もともとは対象となる経典ごとに独立した書籍になっていたらしいが[3]、現行本はすべて30巻にまとめられている。
漢から南北朝までの諸家の音義を引用し、文字の異同があればそれも記している。『説文解字』・『字林』・『玉篇』などの字書、郭象・郭璞・徐邈・李軌・劉昌宗らの南北朝の学者の音義書を多く引用しているが、元になった音義は大部分が滅んでいるため、古い音義を知るために貴重な書籍となっている。なお『説文解字』や鄭玄の音を反切を使って引いているが、許慎や鄭玄が反切を使わなかったことは序録にもあるとおり[4]明らかであり、これらの音がどういう出自のものであるかはよくわからない。
中国語の音韻史上、『切韻』に少し先だつ時代の南方標準音を代表する著作として、『玉篇』とならんで重視される。また、通常の読みと異なる異読を非常に多く載せているところにも特徴がある。
巻1の序録は、経典のそれぞれについて学問がどのように伝承され、誰がどういう注釈書を記したかを詳しく記している。すべてを信じることはできないが、歴史的価値が極めて高い。
異文を多く記しているので、異体字・俗字研究の目的にも使うことができる。
テキスト
『経典釈文』の古いテキストは伝わっていない。敦煌出土の唐写本残巻がいくつか存在する。
清初の叢書である通志堂経解に収められたもの(通志堂本)と、18世紀に盧文弨が校訂した抱経堂本の2つが通常用いられる。盧文弨はまた『経典釈文攷証』を記している。これらの本は、明の文淵閣に蔵していた宋刻本を明末の葉林宗が写したものが元になっている。
『十三経注疏』にも『経典釈文』が含まれているが、略されていたり本文が異なっていたりするので、使用には注意を要する。
現行のテキストの誤りを修正しようとした著作は清朝以来数多くある。黄焯『経典釈文彙校』(1981年)は、抱経堂本の誤りについて黄焯が記したメモをまとめたものである。
潘重規主編『経典釈文韻編』(1983年)は通志堂本『経典釈文』を注釈されている文字ごとにまとめ直した便利な著作である。
脚注
参考文献
- 坂井健一「魏晋南北朝字音研究序説」『中国語学研究』汲古書院、1995年(原著1972年3月)、210-252頁。