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「スタンリー (フォークランド諸島)」の版間の差分

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==概要==
==概要==
[[東フォークランド島]][[ポート・ウィリアム (フォークランド諸島)|ポート・ウィリアム(入り江)]]の奥に位置する。'''ポート・スタンリー'''(Port Stanley)とも呼ばれる。なお、フォークランド諸島の領有権を主張している[[アルゼンチン]]側ではスペイン語でプエルト・アルヘンティーノ(Puerto Argentino)と呼んでいる。
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人口は2115人([[2006年]])の小さな港町だがフォークランド諸島では一番大きな町である。町並みはイギリス風で19世紀のイギリス植民地時代の建物が多く残る。[[1987年]]に設立されたフォークランド諸島博物館やガバメントハウスや[[1892年]]に建てられたクライストチャーチ大聖堂などがあり、ゴルフコース、競走馬、戦争祈念施設、郵便局、キングエドワード7世病院など、また島唯一の刑務所もある。
人口は2115人([[2006年]])の小さな港町だがフォークランド諸島では一番大きな町である。町並みはイギリス風で19世紀のイギリス植民地時代の建物が多く残る。[[1987年]]に設立されたフォークランド諸島博物館やガバメントハウスや[[1892年]]に建てられたクライストチャーチ大聖堂などがあり、ゴルフコース、競走馬、戦争祈念施設、郵便局、キングエドワード7世病院など、また島唯一の刑務所もある。
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2020年8月13日 (木) 08:51時点における版

スタンリー/プエルト・アルヘンティーノ
Stanley / Puerto Argentino
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ)の航空写真
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ)の航空写真
位置
の位置図
位置
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ)の位置(フォークランド諸島内)
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ)
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ)
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ) (フォークランド諸島)
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ)の位置(南アメリカ内)
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ)
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ)
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ) (南アメリカ)
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ)の位置(大西洋内)
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ)
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ)
スタンリー(プエルト・アルヘンティーノ) (大西洋)
地図
座標 : 南緯51度41分40秒 西経57度51分10秒 / 南緯51.69444度 西経57.85278度 / -51.69444; -57.85278
行政
領土問題あり
イギリスの旗 イギリス 領有権主張、実効支配
アルゼンチンの旗 アルゼンチン 領有権主張
 海外領土/ フォークランド諸島の旗 フォークランド諸島(英)
ティエラ・デル・フエゴ州(アルゼンチン)
  南太平洋諸島県(アルゼンチン)
 町 スタンリー/プエルト・アルヘンティーノ
人口
人口 2012年4月15日現在)
  町域 2,120人
その他
等時帯 フォークランド諸島時間 (UTC-3)
公式ウェブサイト : http://www.falklandislands.com/

スタンリーまたはスタンレー(Stanley)、スペイン語:プエルト・アルヘンティーノ(Puerto Argentino)は、南アメリカの係争地・フォークランド諸島(マルビナス諸島)の首府。

概要

東フォークランド島ポート・ウィリアム(入り江)の奥に位置する。ポート・スタンリー(Port Stanley)とも呼ばれる。

人口は2115人(2006年)の小さな港町だがフォークランド諸島では一番大きな町である。町並みはイギリス風で19世紀のイギリス植民地時代の建物が多く残る。1987年に設立されたフォークランド諸島博物館やガバメントハウスや1892年に建てられたクライストチャーチ大聖堂などがあり、ゴルフコース、競走馬、戦争祈念施設、郵便局、キングエドワード7世病院など、また島唯一の刑務所もある。

歴史

1763年フランスルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィルはフォークランド諸島に入植しようと、現在バークレーサウンドと呼ばれる湾沿いにポートルイスを築き、そこが島の中心地となった。その後のイギリス植民地時代において、リチャード・ムーディ知事(1841年にフォークランド諸島の副知事に就任、1843年から1848年までは知事を務める)は新たな入植地を見つけようとイギリス海軍のフランシス・ロードン・モリア艦長とジェームズ・クラーク・ロスを迎え入れ、彼らは5ヶ月間島で過ごす。ポートルイスのすぐ南にあるもう一つの入植地、ポートジャクソン(かつてフランス語でボーポートと呼ばれていた)は寄港する船舶にとり十分な水深を持つことが考慮され、そこをイギリスの伯爵エドワード・スミス=スタンリーの名に因んでスタンリーハーバーと改名し、1843年にから1845年にかけて首都移転を行った。しかし、首都の変更に入植者達の反応は様々で、ムーディ知事は最悪の選択をしたとも言われ、当初は停泊地としてうまく機能しなかった。1849年に30人の結婚したチェルシー年金受給者(元イギリス海軍の退役軍人)達が入植し、島の防衛とスタンリー港発展を助けた。その後スタンリーは水深の深い港として発展していった。1982年フォークランド紛争ではアルゼンチン軍に一時占領された。

気候

ケッペンの気候区分ではツンドラ気候(ET)に属する。

スタンリー(1961-1990)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 24
(75)
23
(73)
21
(70)
17
(63)
14
(57)
11
(52)
10
(50)
11
(52)
15
(59)
18
(64)
22
(72)
22
(72)
24
(75)
平均最高気温 °C°F 14.1
(57.4)
14.0
(57.2)
12.8
(55)
10.3
(50.5)
7.4
(45.3)
5.6
(42.1)
5.1
(41.2)
6.0
(42.8)
7.7
(45.9)
9.9
(49.8)
11.9
(53.4)
13.4
(56.1)
9.8
(49.6)
日平均気温 °C°F 9.6
(49.3)
9.7
(49.5)
8.6
(47.5)
6.5
(43.7)
4.0
(39.2)
2.5
(36.5)
2.0
(35.6)
2.5
(36.5)
3.8
(38.8)
5.7
(42.3)
7.3
(45.1)
8.8
(47.8)
5.9
(42.6)
平均最低気温 °C°F 5.1
(41.2)
5.4
(41.7)
4.5
(40.1)
2.7
(36.9)
0.7
(33.3)
−0.5
(31.1)
−1.2
(29.8)
−1.0
(30.2)
−0.2
(31.6)
1.5
(34.7)
2.7
(36.9)
4.4
(39.9)
2.0
(35.6)
最低気温記録 °C°F −1
(30)
−1
(30)
−3
(27)
−6
(21)
−7
(19)
−11
(12)
−9
(16)
−11
(12)
−11
(12)
−6
(21)
−3
(27)
−2
(28)
−11
(12)
降水量 mm (inch) 63
(2.48)
45
(1.77)
52
(2.05)
50
(1.97)
48
(1.89)
45
(1.77)
41
(1.61)
38
(1.5)
34
(1.34)
36
(1.42)
39
(1.54)
52
(2.05)
544
(21.42)
平均降雨日数 17 12 15 14 15 13 13 13 12 11 12 15 162
湿度 78 79 83 87 88 89 90 87 84 80 74 76 82.9
出典:Climatic Research Unit, University of East Anglia[1]

交通

鉄道

1915年から1940年にかけて、スタンリー湾の北岸に沿って鉄道が敷設されていた[2]

脚注

  1. ^ Falkland Islands Climate”. Climatic Research Unit, University of East Anglia. 8 March 2013閲覧。
  2. ^ Camber Railway - Britlink.org