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2020年8月13日 (木) 06:34時点における版
梅思平 | |
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『写真週報』1940年4月3日号 | |
プロフィール | |
出生: | 1896年(清光緒22年)[1] |
死去: |
1946年(民国35年)9月14日 中華民国南京市 |
出身地: | 清浙江省温州府永嘉県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 梅思平 |
簡体字: | 梅思平 |
拼音: | Méi Sīpíng |
ラテン字: | Mei Szu-p'ing |
和名表記: | ばい しへい |
発音転記: | メイ スーピン |
梅 思平(ばい しへい)は中華民国の政治家。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人である。旧名は祖芬。
事跡
国立北京大学法律科の卒業生。国立中央大学、国立中央政治学校教授を経て、1933年(民国22年)、江寧県(現在の南京市江寧区)県長となる。中国国民党では、CC系の一員とされる。1936年(民国25年)6月、江蘇省第10区行政督察専員に任命され、9月には同区保安司令も兼ねた。翌年5月、職を免ぜられたが、同年に国民党中央政治委員会内政委員となる。
梅思平は、周仏海の側近として「低調倶楽部」に参加し、対日和平を主張した。また、芸文研究会香港分会の責任者として、香港の国際問題研究所の専門研究員となり、『国際叢書』の編集を担当した。1938年(民国27年)8月、汪兆銘(汪精衛)側の代表として松本重治ら日本側の和平運動責任者と交渉を重ね、汪兆銘の重慶脱出を実現させた[2]。
1939年(民国28年)8月、汪兆銘に合流し、その指導下で国民党秘書長、中央執行委員、常務委員、組織部長に任ぜられた。翌年3月、南京国民政府の正式な成立とともに、中央政治会議委員、工商部部長となる。5月、日本軍管理工廠接収委員会委員長となり、7月には糧食委員会委員長となった。11月、日本との『中日(日中)基本関係条約』締結に参与する。
1941年(民国30年)2月、浙江省省長を兼任し、3月に清郷委員会委員、8月に実業部部長[3]と歴任した。1943年(民国32年)1月、最高国防会議委員となり、9月、内政部部長に異動した。1945年(民国34年)5月、民衆訓練部部長も兼任する。
日本敗北後の同年9月に逮捕され、1946年(民国35年)5月9日、死刑判決を受ける。同年9月14日、南京で死刑を執行された。享年51。
注
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 鄭仁佳「梅思平小伝」『伝記文学』ホームページ(台湾、要繁体字フォント)
- 劉傑『漢奸裁判 対日協力者を襲った運命』中央公論新社(中公新書)、2000年。ISBN 978-4121015440。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
南京国民政府(汪兆銘政権)
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