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父の死後、その後を継いで、益州[[刺史]]・御史中丞を歴任した。223年には[[雍闓]]の反乱を受け、[[交州]]刺史も兼ねて[[広東]]付近に赴任するが、翌年に呉と[[蜀]](蜀漢)の間で和議が成立すると[[建業]]に召還された。数年後に病死した。 |
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== 脚注 == |
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2020年8月13日 (木) 06:33時点における版
姓名 | 劉闡 |
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時代 | 後漢時代 - 三国時代 |
生没年 | 〔不詳〕 |
字・別号 | 劉緯(別名) |
本貫・出身地等 | 荊州江夏郡竟陵県 |
職官 | 益州刺史〔呉〕→御史中丞〔呉〕 |
爵位・号等 | - |
陣営・所属等 | 劉璋→劉備→孫権 |
家族・一族 | 祖父:劉焉 父:劉璋 |
劉 闡(りゅう せん、生没年不詳)は、後漢から三国時代の人物。劉緯とも表記される[1]。
益州牧・劉璋の次子で、兄に劉循がいる。劉備が益州を攻略した時、父兄と共に降伏した。後に父と共に荊州の公安に移住するが、219年に関羽が敗れ公安を含む荊州が呉の支配圏になると父と共に孫権に帰順した。
父の死後、その後を継いで、益州刺史・御史中丞を歴任した。223年には雍闓の反乱を受け、交州刺史も兼ねて広東付近に赴任するが、翌年に呉と蜀(蜀漢)の間で和議が成立すると建業に召還された。数年後に病死した。
脚注
- ^ 『蜀志』劉二牧伝が引く『呉書』より。