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2020年8月13日 (木) 06:30時点における版

孫丹林
『改訂 現代支那人名鑑』(1928年)
プロフィール
出生: 1872年同治11年)
死去: 不詳
出身地: 清の旗 山東省登州府蓬莱県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 孫丹林
簡体字 孙丹林
拼音 Sūn Dānlín
ラテン字 Sun Tan-lin
和名表記: そん たんりん
発音転記: スン ダンリン
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孫 丹林(そん たんりん)は中華民国の政治家。北京政府の要人。翰丞

事跡

山東大学を卒業。1911年宣統3年)、辛亥革命の際に登州で軍政府が樹立されると、その秘書長兼総参謀として推戴された。その後、高苑知県、直魯巡閲使署秘書長を歴任する。

1922年民国11年)6月、北京政府の内務部次長となる。同年7月に内務総長を代理、9月に同職を署理した。そのほかに、督弁鄭州商埠事宜をつとめている。

1927年(民国16年)、上海で中国興業銀行総経理となった。1937年(民国26年)に日中戦争(抗日戦争)が勃発すると、国民政府外交部特派員として日本との交渉にあたった。

その後、孫丹林の行方は不明である。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
譚延闓
内務総長(代理)
1922年7月 - 8月
次代
田文烈
先代
田文烈
内務総長(署理)
1922年9月 - 11月
次代
高凌霨