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* 「美人納涼図」 絹本著色 1幅 個人蔵 款記「桂宗信」 印章「宗信」白文方印<ref>岩佐伸一 伊藤紫織 松岡まり江企画・編集『「唐画もんー[[墨江武禅|武禅]]に[[林閬苑]]、[[伊藤若冲|若冲]]も」展図録』 [[大阪歴史博物館]] [[千葉市美術館]] [[産経新聞社]]、2015年9月8日、pp.22、155。</ref> |
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2020年8月13日 (木) 06:27時点における版
桂 宗信(かつら むねのぶ、享保20年〈1735年〉 - 寛政2年〈1790年〉8月27日)とは、江戸時代中期の大坂の浮世絵師。
来歴
月岡雪鼎の門人。大坂の人。姓は桂、名は常政、後に宗信。俗称は源吾または源五郎。字は雪典。宗信、雪典、左司馬、眉仙、通神道人、通神亭と号す。今橋中橋筋北横町、また舟町に住んでいた。明和から天明(1764 - 1789年)にかけて肉筆浮世絵の美人画や読本、狂歌本などの挿絵を描く。代表作として安永9年(1780年)刊行の狂歌本『狂歌両節東街道』、天明8年(1788年)刊行の読本『絵本三国志』が挙げられる。享年56。墓所は大阪天王寺区の清寿院。弟子に大坂の閨秀画家・桂三木がいる。
作品
- 「美人納涼図」 絹本著色 1幅 個人蔵 款記「桂宗信」 印章「宗信」白文方印[1]
脚注
参考文献
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年