コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ヘールカ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
 
32行目: 32行目:


==姿形・像容==
==姿形・像容==
一例としては、「一面二臂で、右手に[[金剛杵]]、左手にカパーラ([[髑髏杯]])を持ち、更に左手でカトヴァーンガ([[髑髏杖]])を抱える。足下は死体を踏みつけ、右足を上げ、左足で立つ舞踊のポーズを取る。髪の毛は逆立ち、顔は三眼忿怒の相。額には部族主である[[阿しゅく如来|阿閦仏]]の小像が付されることも。肩から生首を繋いだ環をかけ、身体に灰を塗る。」となり、概して[[ヒンドゥー教]]の[[シヴァ]]神と重なる。<ref>松長有慶「般若・母タントラ系の密教」、『インド後期密教〈下〉』、 p52。</ref>
一例としては、「一面二臂で、右手に[[金剛杵]]、左手にカパーラ([[髑髏杯]])を持ち、更に左手でカトヴァーンガ([[髑髏杖]])を抱える。足下は死体を踏みつけ、右足を上げ、左足で立つ舞踊のポーズを取る。髪の毛は逆立ち、顔は三眼忿怒の相。額には部族主である[[阿如来|阿閦仏]]の小像が付されることも。肩から生首を繋いだ環をかけ、身体に灰を塗る。」となり、概して[[ヒンドゥー教]]の[[シヴァ]]神と重なる。<ref>松長有慶「般若・母タントラ系の密教」、『インド後期密教〈下〉』、 p52。</ref>


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年8月13日 (木) 06:25時点における最新版

ヘールカ(Heruka)とは、仏教の後期密教における尊格の1つ。尊様としては日本の明王に相当するが、チベット密教では無上瑜伽タントラの独特の解釈がなされている。

概説

[編集]

日本では「教令輪身」と呼ばれて本尊の守護者とされるが、これに対して、チベット密教では五智如来や諸仏にも等しい存在とされ、ヘールカと呼ばれて時には各タントラの説法者であり主尊でもある如来らを凌駕し、各タントラの主役の本尊yi dam:イダム)として祀られる。

その例として、インド伝来の三宗派において、ニンマ派の依経である旧訳の『大幻化網タントラ』(グヒヤガルバ・タントラ)では大日如来が主尊であり、サキャ派カギュ派が伝承する新訳の『幻化網タントラ』(マーヤージャーラ・タントラ)ではヤブユム金剛薩埵が主尊であり、共に曼荼羅の中心として描かれるにもかかわらず、その両タントラを代表する本尊として祀られるのは、ヘールカである「大幻化金剛」(Mahā-māyā:マハー・マーヤー)であることからも理解される。

本来は、中期密教における降三世明王を起源としていて、後の無上瑜伽タントラにおいては、母タントラの先駆である『サマーヨーガ・タントラ』から忿怒尊として登場する。更に、『ブッダカパーラ・タントラ』における「ブッダカパーラ」など、母タントラ系の各主要な尊挌へと発展し、それらの総称としても、この「ヘールカ」の名は用いられる。

各種のヘールカ

[編集]

チベット密教の主要な五タントラに見るヘールカ

また、ニンマ派におけるチベット密教の先駆的な教法である、『修部の八教説』(ドゥパ・カギェー)の「八大ヘールカ法」の九尊にも見られるように、より幅広く尊格全般の呼称としても、この名は用いられる。[要検証]

八教説の八大ヘールカ[1][2]

  1. 総集ヘールカ[要検証]:「チェチョク」(持明金剛[注 1]
  2. 妙吉祥ヘールカ[要検証]、教説:「ジャンペル・ク」 ('jam 'pal sku
  3. 蓮華ヘールカ[要検証]、教説:「パドマ・スン」 (padma gsung
  4. 真実ヘールカ[要検証]、教説:「ヤンダク・トゥク」 (yan dag thugs
  5. 甘露ヘールカ[要検証]、教説:「ドゥツィ・ユンテン」 (bdud rtsi yon tan
  6. 金剛橛ヘールカ[要検証]、教説:「プルパ・ティンレ」 (phur pa 'phrin las
  7. 殊勝ヘールカ[要検証]、教説:「マモ・ポゥトン」 (ma mo rbod gtong
  8. 呪語ヘールカ[要検証]、教説:「ムゥパ・ダクガク」 (dmod pa drag sngags
  9. 世神ヘールカ[要検証]、教説:「ジクテン・チュトゥ」 ('jig rten mchod bstod

姿形・像容

[編集]

一例としては、「一面二臂で、右手に金剛杵、左手にカパーラ(髑髏杯)を持ち、更に左手でカトヴァーンガ(髑髏杖)を抱える。足下は死体を踏みつけ、右足を上げ、左足で立つ舞踊のポーズを取る。髪の毛は逆立ち、顔は三眼忿怒の相。額には部族主である阿閦仏の小像が付されることも。肩から生首を繋いだ環をかけ、身体に灰を塗る。」となり、概してヒンドゥー教シヴァ神と重なる。[3]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ クントゥウサンポ(法身普賢)のヤブユムの憤怒相で、八大ヘールカの姿を一身に集めたとされる尊格。

出典

[編集]
  1. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章」、pp.108-109、p161。
  2. ^ 『大チベット展』、図版ツ73-1~ツ73-9。
  3. ^ 松長有慶「般若・母タントラ系の密教」、『インド後期密教〈下〉』、 p52。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]