コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「令狐」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 魏姓の人物記事の改名に伴うリンク修正依頼 (魏犨) - log
19行目: 19行目:


== 由来 ==
== 由来 ==
[[春秋時代]]の[[晋 (春秋)|晋]]の魏顆([[魏シュウ|魏犨]]の子)が軍功を立てて<ref>『[[春秋左氏伝]]』宣公十五年秋七月伝に見える</ref>令狐の地(現在の[[山西省]][[臨猗県]])に封ぜられ、土地の名を氏としたことにはじまる<ref name="tongzhi">{{cite book|和書|author=[[鄭樵]]|title=通志|year=1161|volume=巻二十七・氏族略・令狐氏|url=https://archive.org/stream/06075993.cn#page/n12/mode/2up|quote=姫姓。周文王子[[畢公高]]之後有[[畢万]]、仕晋。其子[[魏シュウ|犨]]封於魏。魏犨之子顆、以獲秦将杜回功、別封於令狐、故為令狐顆。其地在今猗氏県西十五里。漢有令狐邁、避[[王莽]]乱、居敦煌。}}</ref>。
[[春秋時代]]の[[晋 (春秋)|晋]]の魏顆([[魏犨]]の子)が軍功を立てて<ref>『[[春秋左氏伝]]』宣公十五年秋七月伝に見える</ref>令狐の地(現在の[[山西省]][[臨猗県]])に封ぜられ、土地の名を氏としたことにはじまる<ref name="tongzhi">{{cite book|和書|author=[[鄭樵]]|title=通志|year=1161|volume=巻二十七・氏族略・令狐氏|url=https://archive.org/stream/06075993.cn#page/n12/mode/2up|quote=姫姓。周文王子[[畢公高]]之後有[[畢万]]、仕晋。其子[[魏|犨]]封於魏。魏犨之子顆、以獲秦将杜回功、別封於令狐、故為令狐顆。其地在今猗氏県西十五里。漢有令狐邁、避[[王莽]]乱、居敦煌。}}</ref>。


[[王莽]]の時に乱を避けて[[敦煌市|敦煌]]へ移り、令狐氏は敦煌の名家となった<ref name="tongzhi"/><ref>『[[新唐書]]』[[s:zh:新唐書/卷075下|宰相世系五下]]。</ref>。
[[王莽]]の時に乱を避けて[[敦煌市|敦煌]]へ移り、令狐氏は敦煌の名家となった<ref name="tongzhi"/><ref>『[[新唐書]]』[[s:zh:新唐書/卷075下|宰相世系五下]]。</ref>。

2020年8月13日 (木) 04:26時点における版

令狐
各種表記
繁体字 令狐
簡体字 令狐
拼音 Línghú
注音符号 ㄌㄧㄥˊㄏㄨˊ
ラテン字 Linghu
広東語発音: Ling4wu4
上海語発音: Lin1wu1
台湾語白話字 Lēng-hô͘
テンプレートを表示

令狐(れいこ)は、漢姓のひとつ。『百家姓』の432番目。

由来

春秋時代の魏顆(魏犨の子)が軍功を立てて[1]令狐の地(現在の山西省臨猗県)に封ぜられ、土地の名を氏としたことにはじまる[2]

王莽の時に乱を避けて敦煌へ移り、令狐氏は敦煌の名家となった[2][3]

楊慎によると、代には令狐楚の影響で、胡姓の者が多く令狐に姓を変えたという[4]

著名な人物

架空の人物

脚注

  1. ^ 春秋左氏伝』宣公十五年秋七月伝に見える
  2. ^ a b 鄭樵通志』 巻二十七・氏族略・令狐氏、1161年https://archive.org/stream/06075993.cn#page/n12/mode/2up。「姫姓。周文王子畢公高之後有畢万、仕晋。其子封於魏。魏犨之子顆、以獲秦将杜回功、別封於令狐、故為令狐顆。其地在今猗氏県西十五里。漢有令狐邁、避王莽乱、居敦煌。」 
  3. ^ 新唐書宰相世系五下
  4. ^ 楊慎『升菴集』 巻五十・李姓非天https://archive.org/stream/06043009.cn#page/n22/mode/2up。「大抵唐人族姓多冒濫。如令狐楚入相後、天下姓胡者、改胡為狐、而上加令字以附之。温庭筠詩云「自従元相登庸後、天下諸胡尽帯鈴。」」