コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「幽王 (周)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 「カク」→「虢」の改名に伴うリンク修正依頼 (虢石父) - log
27行目: 27行目:
即位の三年後、幽王は褒の地より[[後宮]]に入った褒姒を見て寵愛するようになった。褒姒は笑うことがなく、幽王はなんとか彼女を笑わせようとした。[[絹]]を裂く音を聞き、彼女が微かに微笑んだことで、国中の絹を集めては引き裂かせたともいう。やがて褒姒は子の伯服を儲けるが、この年は[[関中]]で大地震が発生し、記録官の伯陽甫は、亡国の凶兆であると書き残した。
即位の三年後、幽王は褒の地より[[後宮]]に入った褒姒を見て寵愛するようになった。褒姒は笑うことがなく、幽王はなんとか彼女を笑わせようとした。[[絹]]を裂く音を聞き、彼女が微かに微笑んだことで、国中の絹を集めては引き裂かせたともいう。やがて褒姒は子の伯服を儲けるが、この年は[[関中]]で大地震が発生し、記録官の伯陽甫は、亡国の凶兆であると書き残した。


ある日、幽王は兵乱の合図の[[狼煙|烽火]]を上げさせ、太鼓を打ち、軍勢を集結させた<ref>「[[平家物語]]」烽火之沙汰-され共幽王の御心にかなわざりける事は、褒姒笑を含まずして、惣て此后笑うことをし給わず。異国の習には、天下に兵革起る時、所々に火を挙げ、太鼓を打て、兵を召す謀あり。是を烽火と名付けたり。~此后一度笑めば百の媚ありけり。幽王嬉しき事にして、その事となう、常に烽火を挙給ふ。</ref>。駆けつけたが何ごともないのに困惑する将兵を見て、褒姒ははじめて笑った。喜んだ王は以後しばしば無意味に烽火を上げさせ、何度も無駄足を踏まされた諸将は、いつか烽火で集まることがなくなった。また幽王は佞臣の[[カク石父|虢石父]]を登用し、悪政を行わせたため、人民の怨嗟を買った。
ある日、幽王は兵乱の合図の[[狼煙|烽火]]を上げさせ、太鼓を打ち、軍勢を集結させた<ref>「[[平家物語]]」烽火之沙汰-され共幽王の御心にかなわざりける事は、褒姒笑を含まずして、惣て此后笑うことをし給わず。異国の習には、天下に兵革起る時、所々に火を挙げ、太鼓を打て、兵を召す謀あり。是を烽火と名付けたり。~此后一度笑めば百の媚ありけり。幽王嬉しき事にして、その事となう、常に烽火を挙給ふ。</ref>。駆けつけたが何ごともないのに困惑する将兵を見て、褒姒ははじめて笑った。喜んだ王は以後しばしば無意味に烽火を上げさせ、何度も無駄足を踏まされた諸将は、いつか烽火で集まることがなくなった。また幽王は佞臣の[[虢石父]]を登用し、悪政を行わせたため、人民の怨嗟を買った。


幽王はついに正室であった申后及び[[太子]]宜臼を廃し、褒姒を后に、伯服を太子に立てた。申后の父である[[申侯 (周幽王時代)|申侯]]は怒り、蛮族の[[犬戎]]軍と連合して反乱を起こす。都に迫る反乱軍に、幽王は軍を集めようとして烽火をあげたが、すでに集まる兵はなかった。幽王と伯服は[[驪山]]の麓で殺され、褒姒は犬戎に連れ去られた。反乱軍は都を略奪して財宝をことごとく奪い去った。
幽王はついに正室であった申后及び[[太子]]宜臼を廃し、褒姒を后に、伯服を太子に立てた。申后の父である[[申侯 (周幽王時代)|申侯]]は怒り、蛮族の[[犬戎]]軍と連合して反乱を起こす。都に迫る反乱軍に、幽王は軍を集めようとして烽火をあげたが、すでに集まる兵はなかった。幽王と伯服は[[驪山]]の麓で殺され、褒姒は犬戎に連れ去られた。反乱軍は都を略奪して財宝をことごとく奪い去った。

2020年8月12日 (水) 07:42時点における版

幽王
第12代王
王朝
在位期間 前781年 - 前771年
都城 鎬京
姓・諱 姫宮涅
生年 前795年
没年 前771年
宣王
后妃 申后
褒姒
※『史記』は諱を宮湦としている

幽王(ゆうおう)は、周朝の第12代の王。宣王の子。携王の兄。平王太子伯服(伯盤)らの父。西周最後の王である。褒姒という女性を愛し、彼女の笑顔を見たさに王国を滅亡させ、自らも反乱に遇い命を失った。

概要

即位の三年後、幽王は褒の地より後宮に入った褒姒を見て寵愛するようになった。褒姒は笑うことがなく、幽王はなんとか彼女を笑わせようとした。を裂く音を聞き、彼女が微かに微笑んだことで、国中の絹を集めては引き裂かせたともいう。やがて褒姒は子の伯服を儲けるが、この年は関中で大地震が発生し、記録官の伯陽甫は、亡国の凶兆であると書き残した。

ある日、幽王は兵乱の合図の烽火を上げさせ、太鼓を打ち、軍勢を集結させた[1]。駆けつけたが何ごともないのに困惑する将兵を見て、褒姒ははじめて笑った。喜んだ王は以後しばしば無意味に烽火を上げさせ、何度も無駄足を踏まされた諸将は、いつか烽火で集まることがなくなった。また幽王は佞臣の虢石父を登用し、悪政を行わせたため、人民の怨嗟を買った。

幽王はついに正室であった申后及び太子宜臼を廃し、褒姒を后に、伯服を太子に立てた。申后の父である申侯は怒り、蛮族の犬戎軍と連合して反乱を起こす。都に迫る反乱軍に、幽王は軍を集めようとして烽火をあげたが、すでに集まる兵はなかった。幽王と伯服は驪山の麓で殺され、褒姒は犬戎に連れ去られた。反乱軍は都を略奪して財宝をことごとく奪い去った。

幽王の死後、申侯は廃太子となっていた宜臼を平王として立てた。しかし兵乱により王都の鎬京は破壊されていたため、平王は東の洛邑へと遷都し、ここに西周は消滅して東周が始まった。

注釈

  1. ^ 平家物語」烽火之沙汰-され共幽王の御心にかなわざりける事は、褒姒笑を含まずして、惣て此后笑うことをし給わず。異国の習には、天下に兵革起る時、所々に火を挙げ、太鼓を打て、兵を召す謀あり。是を烽火と名付けたり。~此后一度笑めば百の媚ありけり。幽王嬉しき事にして、その事となう、常に烽火を挙給ふ。

関連項目