「文宗 (朝鮮王)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 「李エン」の各人物記事の改名に伴うリンク修正依頼 (李琰 (朝鮮)) - log |
||
52行目: | 52行目: | ||
** 弟: [[李瑜|錦城大君]] 李瑜(1426年 - 1457年) |
** 弟: [[李瑜|錦城大君]] 李瑜(1426年 - 1457年) |
||
** 弟: [[李琳 (朝鮮)|平原大君]] 李琳(1427年 - 1445年) |
** 弟: [[李琳 (朝鮮)|平原大君]] 李琳(1427年 - 1445年) |
||
** 弟: [[李 |
** 弟: [[李琰 (朝鮮)|永膺大君]] 李琰(1434年 - 1467年) |
||
* 正室(世子嬪): {{仮リンク|徽嬪金氏|ko|휘빈 김씨}}(生没年不詳)- 金五文の娘、廃位 |
* 正室(世子嬪): {{仮リンク|徽嬪金氏|ko|휘빈 김씨}}(生没年不詳)- 金五文の娘、廃位 |
||
** 子女なし |
** 子女なし |
2020年8月12日 (水) 04:40時点における版
文宗 李珦 | |
---|---|
李朝 | |
第5代国王 | |
王朝 | 李朝 |
在位期間 | 1450年4月4日 - 1452年6月1日 |
都城 | 漢陽 |
字 | 輝之(フィジ、휘지) |
諡号 |
恭順欽明仁粛光文聖孝大王 공순흠명인숙광문성효대왕 |
廟号 | 文宗(문종) |
生年 |
永楽12年10月3日 (1414年11月15日) |
没年 |
景泰3年5月14日 (1452年6月1日) |
父 | 世宗 |
母 | 昭憲王后沈氏 |
陵墓 | 顕陵 |
文宗(ムンジョン、ぶんそう、1414年11月15日 - 1452年6月1日)は、李氏朝鮮の第5代国王(在位:1450年 - 1452年)。姓は李、名は珦(ヒャン、향)。王位継承以前に摂政を務める。
系譜
父は第4代国王世宗。母は昭憲王后・沈氏。弟は世祖(首陽大君)、および安平大君、広平大君、錦城大君などが、子女には端宗などがいる。
概略
1414年、世宗の長男として生まれる。1421年、7歳で王世子(王の跡継ぎ)となる。
1436年に世宗が即位した当初糖尿病により病弱で健康状態が悪化したこともあり、世子への庶務決裁権を譲渡し摂政となることを願った。しかし、臣下に反対され実現しなかった。一方で世宗が六曹直哲制度での実務を維持できる健康状況でもなかった為に領議府署事制に移行する。
それでも世宗には負担であったので1442年(正統7年、世宗24年)に「王が厳然と存在するのに世子が政治を決定させるわけにはいかない」という論理を展開する臣下の反対を押しのけて世宗は世子への庶務決裁権の譲渡を断行し、これ以降より当時世子の文宗は摂政として政務に携わるようになる。世子の摂政にあたり、庶務を管轄し、王の承政院と便殿に相当する擔事院が設置され、国家の重大事以外の庶務は全て世子の決済を受けることになった。
世宗の死去により王位につくが、文宗自身も原因不明の病(癩病の説あり)に倒れ、在位2年、38歳で薨去した。
人物
幼少より学問を好み、天文、易学、算術、書道に長けており、従順、判断が慎重であった。王世子時代より陣法を編纂するなど軍政に関心をもった。
家系
- 祖父: 太宗(1367年 - 1422年)
- 祖母: 元敬王后閔氏(1365年 - 1420年)
- 父: 世宗(1397年 - 1450年)
- 母: 昭憲王后沈氏(1395年 - 1446年)
- 正室(世子嬪): 徽嬪金氏(生没年不詳)- 金五文の娘、廃位
- 子女なし
- 正室(世子嬪): 純嬪奉氏(生没年不詳)- 奉礪の娘、廃位
- 子女なし
- 正室: 顕徳王后権氏(1418年 - 1441年)- 花山府院君権専の娘。世子嬪在位中に産褥死、死後追贈
- 後宮: 粛嬪洪氏(生没年不詳)- 洪深の娘
- 翁主(生年不詳 - 1444年)[1]
- 後宮: 司則楊氏(生没年不詳)
- 後宮: 淑儀文氏(1426年 - 1508年[3])- 文敏の娘
- 後宮: 承徽鄭氏(生没年不詳)[4][5]
- 後宮: 宮人張氏(生没年不詳)[5]
文宗が登場する作品
- 小説
- 彩虹 - キム・ビョラ作、ヘネム出版社、2011年 ISBN 9788965743286
- 亥時の蜃楼 - ユン・イス作、NAVERウェブ小説、2015-2016年[7]。ヘネム出版社、2016年、全5巻 ISBN 9788965745662(第1巻)
- 映画
- テレビドラマ
- 破天舞(KBS1980年、配役: ペク・ユンシク)[10]
- 韓明澮 〜朝鮮王朝を導いた天才策士〜(KBS1994年、配役: ソン・スンファン)[11]
- 王と妃(KBS1998-2000年、配役: チョン・ムソン)[12]
- 大王世宗(KBS2008年、配役: イ・サンヨプ[13]、カン・ビ(子役)[14])
- 王女の男(KBS2011年、配役: チョン・ドンファン)
- インス大妃(JTBC2012年、配役: ソヌ・ジェドク)[15]
- チャン・ヨンシル〜朝鮮伝説の科学者〜(KBS2016年、配役: ハン・ジョンウ[16]、チェ・スンフン(子役)[17])
脚注
注釈
出典
- ^ 「己酉/ 承徽洪氏女卒, 年四歲也.」朝鮮王朝実録 世宗実録106巻 世宗26年12月4日 己酉1回目
- ^ 「丁丑/王女卒. 年二歲, 宮人楊氏出也.」朝鮮王朝実録 文宗実録9巻 文宗1年8月12日 丁丑1回目
- ^ 숙의문씨 묘[淑儀文氏墓] 斗山百科 2019.3.30 02:10 (UTC) 閲覧
- ^ 「以權氏 鄭氏 洪氏, 竝爲承徽、成念租爲司憲掌令.」朝鮮王朝実録 世宗実録51巻 世宗13年3月15日 己卯3回目
- ^ a b c d 「王世子嬪權氏, 贈議政府左議政專之女, 生元孫及平昌郡主而早卒. 司則 楊氏生一女, 宮人張氏生一男, 鄭氏生一男, 皆幼.」朝鮮王朝実録 世宗実録112巻 世宗28年6月6日 壬寅2回目
- ^ 「顯德王后 權氏, 永嘉世族, 贈議政府左議政專之女. 有淑德婉容, 選入東宮爲承徽, 後陞爲嬪, 先王十一年而薨, 諡顯德, 安厝于京畿 安山郡之昭陵. 及王卽位, 追冊王后. 誕一男一女, 男卽我殿下, 女封敬惠公主, 下嫁寧陽尉 鄭悰. 司則楊氏, 生一女, 未筓. 景泰三年壬申九月, 謹誌.」朝鮮王朝実録 文宗実録13巻 文宗2年9月1日 庚寅3回目
- ^ 민경원 “첫사랑 실패 뒤 소설 시작, 박보검 3부작 만들고 싶다” 中央日報 2016.11.3付記事
- ^ 신기전 출연&스텝 DAUM 2019.3.30 03:30 (UTC) 閲覧
- ^ 観相師 かんそうし 映画.com 2019.3.30 03:35 (UTC) 閲覧
- ^ 日曜史劇「파천무」배역결정 東亜日報 1980.4.2 p. 8(NAVER内)
- ^ TV 검색 한명회 출연 DAUM 2019.3.30 04:00 (UTC) 閲覧
- ^ 이정연 한국 드라마가 가장 사랑한 왕은 ‘영조’ スポーツ東亜 2014.9.16付記事
- ^ 박건욱 '코끼리' 이상엽, 첫 사극 도전…'대왕세종' 합류 アジア経済新聞 2008.9.5付記事
- ^ TV 검색 대왕세종 출연 DAUM 2019.3.30 04:15 (UTC) 閲覧
- ^ 5회 다시보기(動画) JTBC 2019.3.30 04:25 (UTC) 閲覧 ※アクセスすると動画が自動再生されるので注意
- ^ 윤성열 한정우, 첫 사극 도전..'장영실'서 문종役 캐스팅 スターニュース 2016.3.21
- ^ TV 검색 장영실 출연 DAUM 2019.3.30 04:35 (UTC) 閲覧