「四部分類」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 「劉キン」の各人物記事の改名に伴うリンク修正依頼 (劉歆) - log |
||
3行目: | 3行目: | ||
== 歴史 == |
== 歴史 == |
||
{{See also|目録学|図書分類法#中国}} |
{{See also|目録学|図書分類法#中国}} |
||
四部分類が発明される前の分類法としては、[[紀元前6年]]に[[前漢]]の[[哀帝 (漢)|哀帝]]の命令で[[ |
四部分類が発明される前の分類法としては、[[紀元前6年]]に[[前漢]]の[[哀帝 (漢)|哀帝]]の命令で[[劉歆]]が編纂した『[[七略]]』による分類法がある。七略とは、六芸略・諸子略・詩賦略・兵書略・術数略・方技略・輯略の七部分類法(実際には、輯略は[[総記]]に相当するので、六部分類法)のことである。 |
||
[[3世紀]]には、[[西晋]]の[[司馬炎|武帝]]の命令で、[[荀勗]]が『[[中経新簿]]』を編纂し、その際に甲・乙・丙・丁の四部の分類法を最初に適用した。 |
[[3世紀]]には、[[西晋]]の[[司馬炎|武帝]]の命令で、[[荀勗]]が『[[中経新簿]]』を編纂し、その際に甲・乙・丙・丁の四部の分類法を最初に適用した。 |
2020年8月11日 (火) 23:56時点における版
四部分類(しぶぶんるい)は、前近代中国の漢籍の目録(図書目録)を作成するために発明された、図書分類法の一種である。書物を経・史・子・集の四部に分類する。四庫分類(しこ-)、経史子集(けいしししゅう)ともいう。
歴史
→「目録学」および「図書分類法 § 中国」も参照
四部分類が発明される前の分類法としては、紀元前6年に前漢の哀帝の命令で劉歆が編纂した『七略』による分類法がある。七略とは、六芸略・諸子略・詩賦略・兵書略・術数略・方技略・輯略の七部分類法(実際には、輯略は総記に相当するので、六部分類法)のことである。
3世紀には、西晋の武帝の命令で、荀勗が『中経新簿』を編纂し、その際に甲・乙・丙・丁の四部の分類法を最初に適用した。
その後、7世紀、初唐の『隋書』「経籍志」により、経・史・子・集の四部分類法が完成した。
四部分類の代表例として、清の乾隆帝の命令によって編纂された一大叢書である『四庫全書』による四部分類がある。
近代以降、四部分類は用いられなくなるが、中国学を扱う大学や研究所などの図書館・研究室では、漢籍を配架するための国際標準的な分類法として踏襲されている。
四部の構成
- 経部 (けいぶ。儒教の経典および注釈等。訓詁学(文字解釈)を含む)
- 史部 (しぶ。歴史・地理等)
- 子部 (しぶ、こぶ。諸子百家を始めとして、天文学・暦学・医学・薬学等の科学技術書も含む)
- 集部 (しゅうぶ。詩賦・小説などの文学作品・文芸評論といった文集)
現代では、さらに叢書部を加えて五部分類とすることもある。