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劉務桓の子として生まれる。
劉務桓の子として生まれる。


[[358年]]、劉悉勿祈は鉄弗部で内乱を起こした。原因は以前、劉悉勿祈の兄弟12人が代王[[拓跋什翼ケン|拓跋什翼犍]]の左右近侍職に就いていたが、ことごとく帰国させられたことにある。これは代王による離間の計であり、これによって鉄弗部の大人[[劉閼頭]]が放逐され、新たに劉悉勿祈が大人となった。
[[358年]]、劉悉勿祈は鉄弗部で内乱を起こした。原因は以前、劉悉勿祈の兄弟12人が代王[[拓跋什翼犍]]の左右近侍職に就いていたが、ことごとく帰国させられたことにある。これは代王による離間の計であり、これによって鉄弗部の大人[[劉閼頭]]が放逐され、新たに劉悉勿祈が大人となった。


[[359年]]、劉悉勿祈は大人になって1年で死去し、弟の劉衛辰が後を継いだ。
[[359年]]、劉悉勿祈は大人になって1年で死去し、弟の劉衛辰が後を継いだ。

2020年8月11日 (火) 10:20時点における版

劉 悉勿祈(りゅう しつぶつき、拼音:Liú Xīwùqí、? - 359年)は、中国五胡十六国時代匈奴鉄弗部の大人(たいじん:部族長)。劉務桓の子で、劉衛辰の兄。

生涯

劉務桓の子として生まれる。

358年、劉悉勿祈は鉄弗部で内乱を起こした。原因は以前、劉悉勿祈の兄弟12人が代王拓跋什翼犍の左右近侍職に就いていたが、ことごとく帰国させられたことにある。これは代王による離間の計であり、これによって鉄弗部の大人劉閼頭が放逐され、新たに劉悉勿祈が大人となった。

359年、劉悉勿祈は大人になって1年で死去し、弟の劉衛辰が後を継いだ。

参考資料

  • 魏書』(帝紀第一、列伝第八十三)
先代
劉閼頭
鉄弗部の大人
358年 - 359年
次代
劉衛辰