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* 『攀古楼彝器款識』
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2020年8月11日 (火) 04:50時点における版

潘祖蔭

潘 祖蔭(はん そいん、Pan Zuyin1830年 - 1890年)は、官僚金石学者。字は伯寅、号は鄭盦江蘇省呉県(現在の蘇州市)出身。

状元潘世恩の孫。1852年探花として進士となり、編修となった。その後、侍読学士、光禄寺卿、左副都御史、工部侍郎、戸部侍郎、大理寺卿、礼部右侍郎、工部尚書、刑部尚書、兵部尚書を歴任し、1882年には軍機大臣に就任した。死後、太子太傅と文勤の諡号を贈られた。

1860年左宗棠が弾劾されたときに弁護して、「国家にとって湖南が無いことは一日もあってはならず、湖南にとって宗棠が無いことは一日もあってはならない」と述べた。

書物や金石碑文の収蔵家であり、目利きとして広く名を知られ、「潘神眼」と称された。

金石を好んで収蔵し、そのコレクションは陳介祺と並んで称された。

著書

  • 『滂喜斎叢書』
  • 『攀古楼彝器款識』
先代
翁同龢
都察院漢左都御史
1879
次代
童華
先代
賀寿慈
工部漢尚書
1879
次代
翁同龢
先代
翁同龢
刑部漢尚書
1879-1883
次代
張之万
先代
翁同龢
兵部漢尚書
1885-1890
次代
祁世長