コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「責稽王」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
13行目: 13行目:
即位するとともに[[慰礼城]]を修復した。責稽王は[[帯方郡]]の太守の娘の宝菓を夫人としていた関係から、帯方が[[高句麗]]に攻められたときに救援要請に応じ、帯方を救った。この後、百済は高句麗との緊張関係に入り、王は阿且城([[ソウル特別市]][[城東区 (ソウル特別市)|城東区]])・虵城を修復し、高句麗の侵入に備えた。
即位するとともに[[慰礼城]]を修復した。責稽王は[[帯方郡]]の太守の娘の宝菓を夫人としていた関係から、帯方が[[高句麗]]に攻められたときに救援要請に応じ、帯方を救った。この後、百済は高句麗との緊張関係に入り、王は阿且城([[ソウル特別市]][[城東区 (ソウル特別市)|城東区]])・虵城を修復し、高句麗の侵入に備えた。


[[298年]]9月、漢<ref>『三国史記』百済本紀・責稽王紀には漢と記されているが。すでに漢はなく、[[西晋|晋]]の[[楽浪郡]]を指すものと考えられている。</ref>が[[ワイ人|貊]]とともに侵攻してきたので、王は城を出てこれらと戦ったが、敵兵に殺された。在位13年。
[[298年]]9月、漢<ref>『三国史記』百済本紀・責稽王紀には漢と記されているが。すでに漢はなく、[[西晋|晋]]の[[楽浪郡]]を指すものと考えられている。</ref>が[[|貊]]とともに侵攻してきたので、王は城を出てこれらと戦ったが、敵兵に殺された。在位13年。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年8月11日 (火) 04:39時点における版

責稽王
各種表記
ハングル 책계왕
漢字 責稽王
発音 チェッキェワン
日本語読み: せきけいおう
ローマ字 Chaekgye-wang
テンプレートを表示

責稽王(せきけいおう、生年未詳 - 298年)は百済の第9代の王(在位:286年 - 298年)であり、先代の古尓王の子。『三国史記』百済本紀・責稽王紀の分注では青稽王、『三国遺事』王暦では責替該(王)の別名も記される。は伝わっていない。286年11月に先王の死去に伴い、王位についた。

治世

即位するとともに慰礼城を修復した。責稽王は帯方郡の太守の娘の宝菓を夫人としていた関係から、帯方が高句麗に攻められたときに救援要請に応じ、帯方を救った。この後、百済は高句麗との緊張関係に入り、王は阿且城(ソウル特別市城東区)・虵城を修復し、高句麗の侵入に備えた。

298年9月、漢[1]とともに侵攻してきたので、王は城を出てこれらと戦ったが、敵兵に殺された。在位13年。

脚注

  1. ^ 『三国史記』百済本紀・責稽王紀には漢と記されているが。すでに漢はなく、楽浪郡を指すものと考えられている。

参考文献