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'''王 先謙'''(おう せんけん、''Wang Xianqian''、[[1842年]] - [[1917年]])。字は'''益吾'''。[[清]]末の[[儒学者]]。'''葵園先生'''と呼ばれた。 |
'''王 先謙'''(おう せんけん、''Wang Xianqian''、[[1842年]] - [[1917年]])。字は'''益吾'''。[[清]]末の[[儒学者]]。'''葵園先生'''と呼ばれた。 |
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[[湖南省]][[長沙市|長沙]]出身。[[1865年]]に[[進士]]となって、[[翰林院]][[庶吉士]]、散館編修を歴任した。古今の書物に通じ、[[阮元]]のあとを継いで『続皇清経解』を、[[姚鼐]]のあとをついで『続古文辞類纂』を編纂した。[[1889年]]から官を辞して郷里の長沙に居を定め、岳麓書院の院長を十年近く務めた。[[戊戌の変法]]時には[[康有為]]や[[梁啓超]]の急進思想に反対した。とはいえ王先謙は空理空論に反対し、[[科挙]]の廃止と西洋の科学知識の学習を主張した。[[1902年]]以降、鉱山の開発や鉄道事業に関わった。 |
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==著作== |
==著作== |
2020年8月11日 (火) 03:33時点における版
王 先謙(おう せんけん、Wang Xianqian、1842年 - 1917年)。字は益吾。清末の儒学者。葵園先生と呼ばれた。
湖南省長沙出身。1865年に進士となって、翰林院庶吉士、散館編修を歴任した。古今の書物に通じ、阮元のあとを継いで『続皇清経解』を、姚鼐のあとをついで『続古文辞類纂』を編纂した。1889年から官を辞して郷里の長沙に居を定め、岳麓書院の院長を十年近く務めた。戊戌の変法時には康有為や梁啓超の急進思想に反対した。とはいえ王先謙は空理空論に反対し、科挙の廃止と西洋の科学知識の学習を主張した。1902年以降、鉱山の開発や鉄道事業に関わった。
著作
- 『漢書補注』
- 『水経注合箋』
- 『後漢書集解』
- 『荀子集解』
- 『荘子集解』
- 『詩三家義集疏』