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「水経注」の版間の差分

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*[[:s:zh:水經注/35|巻35]] 江水
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*[[:s:zh:水經注/36|巻36]] 青衣水、桓水、若水、沫水、延江水、存水、温水
*[[:s:zh:水經注/36|巻36]] 青衣水、桓水、若水、沫水、延江水、存水、温水
*[[:s:zh:水經注/37|巻37]] 淹水、葉楡河、夷水、油水、[[レイ水|澧水]]、[[沅江|沅水]]、泿水
*[[:s:zh:水經注/37|巻37]] 淹水、葉楡河、夷水、油水、[[澧水]]、[[沅江|沅水]]、泿水
*[[:s:zh:水經注/38|巻38]] [[資江|資水]]、[[漣水]]、[[湘江|湘水]]、灕水、溱水
*[[:s:zh:水經注/38|巻38]] [[資江|資水]]、[[漣水]]、[[湘江|湘水]]、灕水、溱水
*[[:s:zh:水經注/39|巻39]] 洭水、深水、鍾水、[[耒水]]、[[ベイ水|洣水]]、漉水、瀏水、㵋水、贛水、廬江水
*[[:s:zh:水經注/39|巻39]] 洭水、深水、鍾水、[[耒水]]、[[ベイ水|洣水]]、漉水、瀏水、㵋水、贛水、廬江水

2020年8月10日 (月) 10:36時点における版

水経注』(すいけいちゅう)は、中国北魏代の地理書である。40巻。撰者(注者)は酈道元469年 - 527年)、延昌4年(515年)の成立と推定される。

水経

その名の通り、本書は『水経』に対する注釈であり、本文も、「経」文に対する「注」文で構成されている。『水経』は、前漢代の桑欽の撰とされる(『唐六典』による)。但し、『隋書』「経籍志」には撰者を記さず、『旧唐書』「経籍志」では、『隋書』では注者とする代の郭璞を撰者としている。『通典』では、地名表記を考証した結果、後漢順帝以後の成立と述べている。朝末期の考証学者、楊守敬1839年 - 1915年)は、更に下って、三国の時代の成立としている。

伝歴

酈道元の『水経注』は当初40巻本であったが、10世紀前後には、亡失の巻(晋代の郭璞注三巻。大漢和辞典より)が出て完本ではなくなっていた。それと共に、本来は別個であった経文と注文とが混雑してしまった。それを、の学者たちが調査し校合した結果、数種の復元がなされた。その中で最も詳細な考証を加えたのが、明の朱謀㙔が1615年に撰した『水経注箋』である。その土台の上に、全祖望1705年 - 1755年)や戴震1723年 - 1777年)らがテキストを復元した。

目録

テキスト

参考文献