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「喜多元規」の版間の差分

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==略伝==
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黄檗僧となり[[鉄牛道機]]に嗣法したという。喜多長兵衛を名乗った[[喜多道矩]]の子。[[寛文]]3年頃に父が没すると画業を受け継ぎ、長兵衛を襲名した。主に[[長崎]]で活動し[[隠元隆き|隠元隆琦]]・[[即非]]・[[木庵性トウ|木庵]]の頂相を手がけ、また[[京都]]や[[尾張]]・[[江戸]]にも往来し画作した。[[黄檗宗|黄檗僧]]に限らず、[[檀越|大檀越]]である[[大名]]や在留唐人の肖像を多数手がけ、その数200点にも及ぶ。寛文3年(1663)から[[宝永]]6年(1709年)頃までの46年間の活動が確認できている。
黄檗僧となり[[鉄牛道機]]に嗣法したという。喜多長兵衛を名乗った[[喜多道矩]]の子。[[寛文]]3年頃に父が没すると画業を受け継ぎ、長兵衛を襲名した。主に[[長崎]]で活動し[[隠元隆琦]]・[[即非]]・[[木庵性トウ|木庵]]の頂相を手がけ、また[[京都]]や[[尾張]]・[[江戸]]にも往来し画作した。[[黄檗宗|黄檗僧]]に限らず、[[檀越|大檀越]]である[[大名]]や在留唐人の肖像を多数手がけ、その数200点にも及ぶ。寛文3年(1663)から[[宝永]]6年(1709年)頃までの46年間の活動が確認できている。


はじめ作品に[[落款]]・[[印章]]を欠いたが寛文5年の即非像に「元規」の印影がみえる。寛文末からは「喜多氏」・「元規」の二印が用いられた。
はじめ作品に[[落款]]・[[印章]]を欠いたが寛文5年の即非像に「元規」の印影がみえる。寛文末からは「喜多氏」・「元規」の二印が用いられた。
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2020年8月2日 (日) 22:10時点における版

喜多元規(きた げんき、生卒年不詳)は、江戸時代前期の黄檗画像黄檗僧頂相)の代表的画家。

通称を長兵衛。薩摩出身。

略伝

黄檗僧となり鉄牛道機に嗣法したという。喜多長兵衛を名乗った喜多道矩の子。寛文3年頃に父が没すると画業を受け継ぎ、長兵衛を襲名した。主に長崎で活動し隠元隆琦即非木庵の頂相を手がけ、また京都尾張江戸にも往来し画作した。黄檗僧に限らず、大檀越である大名や在留唐人の肖像を多数手がけ、その数200点にも及ぶ。寛文3年(1663)から宝永6年(1709年)頃までの46年間の活動が確認できている。

はじめ作品に落款印章を欠いたが寛文5年の即非像に「元規」の印影がみえる。寛文末からは「喜多氏」・「元規」の二印が用いられた。

黄檗画像は、濃厚な彩色と写実的な描写、特に顔貌の深い陰影に特徴がある。代に江南地方で活躍した肖像画家曽鯨の流れを汲む様式であり、当時の唐絵目利の画家にその技法が取り入れられた。ただ、1670年(寛文10年)を境に暈中心から線中心に画風を変化させていることが指摘されている。元規の画風はその後、元喬・元香・元真・元高・元珍・元貞などに受け継がれた。

作品

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
隠元隆琦像 1幅 萬福寺 1664年 隠元自賛
隠元像 1幅 福聚寺 (北九州市) 1665年頃 長崎県指定有形文化財
独立性易 1幅 長崎歴史文化博物館 1667年 独立性易自賛
隠元隆琦像 1幅 萬福寺 1671年 隠元賛
独立性易像 紙本著色 1幅 111.5x50.3 クリーブランド美術館 1671年 独立性易自賛
達磨図 1幅 神戸市立博物館 1675年 木庵
隠元像 弘福寺 1678年
王心渠 1幅 神戸市立博物館 1679年 千呆性侒
鉄牛道機 1幅 東北歴史博物館 1681年
隠元和尚像・木庵和尚像・鉄牛和尚像 紙本著色 3幅対 福聚寺 (千葉県東庄町) 1683年 千葉県指定文化財
稲葉泰応 1幅 弘福寺 1693年
東瀾和尚法像 1幅 福済寺 1695年 長崎市指定有形文化財
慈岳和尚法像 1幅 福済寺 1695年 長崎市指定有形文化財
鍋島直条 1幅

関連項目

参考文献

(左)隠元和尚萬福寺 重文  (中左)独立性易像自賛 長崎歴史文化博物館  (中右)同像 クリーブランド美術館 (右)即非如一千呆性侒像