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*鷲山丈司訳『社会学の基礎理論:社会・文化・パーソナリティ』(内田老鶴圃 1961年)''Society,culture and personality :their structure and dynamics'' |
*鷲山丈司訳『社会学の基礎理論:社会・文化・パーソナリティ』(内田老鶴圃 1961年)''Society,culture and personality :their structure and dynamics'' |
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*京野正樹訳『都市と農村』(刀江書院 1940年)''Principles of rural-urban sociology'' |
*京野正樹訳『都市と農村』(刀江書院 1940年)''Principles of rural-urban sociology'' |
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*[[北昤吉]]訳『ヒューマニティーの再建』(文芸春秋新社 1951年)''The Reconstruction of Humanity'' |
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*北昤吉訳『現代の危機』(日本経済道徳協会 1955年)''Crisis of Our Age'' |
*北昤吉訳『現代の危機』(日本経済道徳協会 1955年)''Crisis of Our Age'' |
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*下程勇吉・監訳『利他愛 ~善き隣人と聖者の研究』(広池学園事業部、1978年)”Altruistic Love” |
*下程勇吉・監訳『利他愛 ~善き隣人と聖者の研究』(広池学園事業部、1978年)”Altruistic Love” |
2020年8月2日 (日) 21:58時点における版
ピティリム・アレクサンドロヴィッチ・ソローキン(Pitirim Alexandrowitsch Sorokin、1889年1月21日 - 1968年2月11日)は、ロシア出身でアメリカで活躍した社会学者。都市、文化、社会学理論など著作は社会学全般に及ぶ。ハーバード大学社会学部の創設者でもある。
生涯
ロシア北方のウグリック民族系フィンランド人、コミ族の一員として生まれる。父は聖像製作を専門とする旅職人だったという。3歳で母を11歳で父を亡くしたため、兄とともに村を出て旅職人として生計を立て、ロシアの小さな町ヤレンスクに落ち着く。奨学金を得て小学校高等科に入学する。師範学校に入るが1906年に政治活動のため逮捕され、卒業はできなかった。首都ペテルブルクに出て夜間学校・心理神経科学校をへてサンクトペテルブルク大学に入学する。大学では社会学を学び、同大の社会学教授となる。ロシア皇帝を支持する保守派によって2回投獄されるが、その時の経験は犯罪学と刑罰学を専攻するきっかけとなった[1]。
ロシア革命に参加。アレクサンドル・ケレンスキー政権において大臣になる。しかしボリシェヴィキ政治を批判し、身の危険を感じ、1922年にアメリカに亡命。1924年-1930年までミネソタ大学教授、1930年よりハーバード大学社会学部初代教授に。同年にアメリカ国籍取得した。パーソンズの理論の批判者としても知られた。
ソローキンの門下からはロバート・キング・マートンなどが輩出した。
著作
- 鷲山丈司訳『社会学の基礎理論:社会・文化・パーソナリティ』(内田老鶴圃 1961年)Society,culture and personality :their structure and dynamics
- 京野正樹訳『都市と農村』(刀江書院 1940年)Principles of rural-urban sociology
- 北昤吉訳『ヒューマニティーの再建』(文芸春秋新社 1951年)The Reconstruction of Humanity
- 北昤吉訳『現代の危機』(日本経済道徳協会 1955年)Crisis of Our Age
- 下程勇吉・監訳『利他愛 ~善き隣人と聖者の研究』(広池学園事業部、1978年)”Altruistic Love”
脚注
- ^ P.ソローキン『利他愛』広池学園事業部、1977年、P.280-281頁。