「岡本保孝」の版間の差分
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[[江戸幕府]]旗本の[[若林包貞]]の次男として[[江戸]]に生まれる。後に[[岡本保修]]の養子となり岡本と改姓する。その後、学問に専念し[[清水浜臣]]及び[[狩谷棭斎]]の門人となり、[[儒教|儒学]]や国学を学ぶ。 |
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これによって、和漢の概念を持った著書を出版し、考証をよくした。[[明治維新]]後は[[大学]]の[[修士]]となり、この学問を取り入れた蔵書を数多く執筆した。なお、保孝には数多くの門人がおり、執筆した蔵書は現在主に[[国立国会図書館]]や[[静嘉堂文庫]]が所蔵している。 |
2020年8月2日 (日) 21:56時点における版
岡本 保孝(おかもと やすたか、1797年8月21日(寛政9年7月29日)- 1878年(明治11年)4月5日)は、江戸時代末期から明治時代の国学者、旗本である。号は況斎等。字は子戒。通称は縫殿助後に勘右衛門。本姓は若林。
経歴・人物
江戸幕府旗本の若林包貞の次男として江戸に生まれる。後に岡本保修の養子となり岡本と改姓する。その後、学問に専念し清水浜臣及び狩谷棭斎の門人となり、儒学や国学を学ぶ。
これによって、和漢の概念を持った著書を出版し、考証をよくした。明治維新後は大学の修士となり、この学問を取り入れた蔵書を数多く執筆した。なお、保孝には数多くの門人がおり、執筆した蔵書は現在主に国立国会図書館や静嘉堂文庫が所蔵している。
主な著作物
主著
- 『況斎雑話』
- 『難波江』
その他の著書
- 『況斎叢書』
- 『安国論考』
等
出典
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『岡本保孝』- コトバンク
- 世界大百科事典 第2版(平凡社)『岡本保孝』- コトバンク
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン)『岡本保孝』- コトバンク