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:*「覆刻日本古典全集13」現代思潮社, 1978年/[[現代思潮新社]], 2006年。[[オンデマンド]]版 |
:*「覆刻日本古典全集13」現代思潮社, 1978年/[[現代思潮新社]], 2006年。[[オンデマンド]]版 |
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* 『典籍箚記』(高桐書院, 1947年) |
* 『典籍箚記』(高桐書院, 1947年) |
2020年8月2日 (日) 21:54時点における版
人物情報 | |
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生誕 |
1897年10月16日 日本京都府京都市 |
死没 | 1984年4月10日 (86歳没) |
学問 | |
研究分野 | 東洋学、書誌学 |
研究機関 | 大谷大学 |
神田 喜一郎(かんだ きいちろう、1897年(明治30年)10月16日 - 1984年(昭和59年)4月10日)は、東洋学者、書誌学者。号を鬯盦、書室を佞古書屋と称した。
来歴
- 1921年(大正10年)3月、京都帝国大学文学部史学科支那史学専攻を卒業する。
- 1923年(大正12年)4月、大谷大学教授に任ぜられる。
- 1926年(大正15年)3月、大谷大学教授の職を辞し、4月より宮内省図書寮(圖書)嘱託に任ぜられ、漢籍目録解題の編纂を担当する。
- 1929年(昭和4年)4月、台北帝国大学助教授に任ぜられる。
- 1934年(昭和9年)11月、同教授。
- 1934年(昭和9年)12月より1936年(昭和11年)8月まで、フランス・イギリスに留学し、敦煌写本の研究等を行う。
- 1945年(昭和20年)12月、台北帝国大学教授を免ぜられる。
- 1946年(昭和21年)5月、大谷大学教授に任ぜられる。
- 1948年(昭和23年)11月、大谷大学教授を辞任、大阪商科大学教授に任ぜられる(1949年(昭和24年)4月、大阪市立大学に改編され、同教授)。
- 1950年(昭和25年)1月、「支那訓詁学上より見たる日本書紀古訓攷証」により、京都大学で文学博士の学位を授与。
- 1952年(昭和27年)5月、京都国立博物館館長に任ぜられる。
- 1960年(昭和35年)7月、京都国立博物館を退任。
- 1972年(昭和47年)11月、日本学士院会員に選出。
親族
長男は神田信夫(東洋学者。清史・満州族史の研究、1921年-2003年)
次男は神田孝夫(比較文学者・ドイツ語学者、東洋大学教授、1923年-1996年)
主な著作
- 『典籍箚記』(高桐書院, 1947年)
- 『東洋學説林』(弘文堂, 1948年/思文閣出版, 1974年)
- 『日本書紀古訓攷証』(養徳社, 1949年)
- 『敦煌學五十年』(二玄社, 1960年/筑摩書房〈筑摩叢書〉, 1970年、復刊1984年)
- 『日本における中國文學-日本填詞史話』(二玄社(全2巻), 1965-1967年)
- 『東洋學文献叢説』(二玄社, 1969年)
- 『中国の古印-その鑑賞の歴史』(二玄社, 1976年)。編著・図版多数
- 『墨林間話』(岩波書店, 1977年)。オンデマンド版2012年
- 『画禅室随筆講義』(同朋舎出版, 1980年)
- 『藝林談叢』(法蔵館〈法蔵選書〉, 1981年)
- 『中国詩学概説 森槐南遺稿』(臨川書店, 1982年)。校訂編集
- 『明治文學全集62 明治漢詩文集』(筑摩書房, 1983年、新装復刊2013年)。編著代表
- 『中國書道史』(岩波書店, 1985年)。遺著、校訂・あとがき神田信夫
全集
- 『神田喜一郎全集』(全10巻、同朋舎出版, 1983-1997年)
- 東洋學説林 敦煌秘籍留眞
- 續東洋學説林 日本書紀古訓攷証
- 東洋學文献叢説 舊鈔本叢説 鬯盦蔵書絶句
- 畫禪室随筆講義 鬯盦蔵曲志
- 中國における詩と美術の間、附録(中國書法の二大潮流・中國の古印)。解説のみ収録
- 日本における中國文學 I
- 日本における中國文學 II
- 扶桑學志 藝林談叢。前者は遺著
- 墨林間話 敦煌學五十年
- 漢詩文 鐵齋扇面 雑纂。最終巻刊行