「巴特爾」の版間の差分
31行目: | 31行目: | ||
[[1993年]]に18歳で[[バスケットボール中華人民共和国代表]]に選出され、[[1994年]]の[[アジア競技大会バスケットボール競技|アジア大会]]に出場、[[1996年]]と[[2000年]]の[[オリンピックバスケットボール競技|オリンピック]]では先発センターとして出場し活躍した。[[2001年]]の[[ユニバーシアード]]と[[FIBA男子アジアカップ|アジア選手権]]ではチームを準優勝に導き、銀メダルを獲得した。[[1995年]]のユニバーシアードとアジア選手権、[[1998年]]、[[2002年]]の[[アジア競技大会]]、[[1999年]]の[[グッドウィルゲームズ]]にも主力として出場した。 |
[[1993年]]に18歳で[[バスケットボール中華人民共和国代表]]に選出され、[[1994年]]の[[アジア競技大会バスケットボール競技|アジア大会]]に出場、[[1996年]]と[[2000年]]の[[オリンピックバスケットボール競技|オリンピック]]では先発センターとして出場し活躍した。[[2001年]]の[[ユニバーシアード]]と[[FIBA男子アジアカップ|アジア選手権]]ではチームを準優勝に導き、銀メダルを獲得した。[[1995年]]のユニバーシアードとアジア選手権、[[1998年]]、[[2002年]]の[[アジア競技大会]]、[[1999年]]の[[グッドウィルゲームズ]]にも主力として出場した。 |
||
[[NBAドラフト]]ではどのチームからも指名されなかったが、[[2001年]]の10月、[[デンバー・ナゲッツ]]のトレーニングキャンプに招待される。プレシーズンゲームの2試合に出場した後解雇されたが、[[リーフ・ラフレンツ]]に代わるセンターを探していたナゲッツと[[2002年]]2月に契約、[[ |
[[NBAドラフト]]ではどのチームからも指名されなかったが、[[2001年]]の10月、[[デンバー・ナゲッツ]]のトレーニングキャンプに招待される。プレシーズンゲームの2試合に出場した後解雇されたが、[[リーフ・ラフレンツ]]に代わるセンターを探していたナゲッツと[[2002年]]2月に契約、[[王治郅]]に次いで2人目の中国籍NBA選手となった<ref>{{cite web|url=http://www.nba.com/nuggets/news/nuggetssignbateer.html |title=Nuggets Sign Bateer |publisher=nba.com |date=2002-02-26 |accessdate=2012-03-25 }}</ref>。ナゲッツでは27試合に出場し10試合で先発、NBAで先発した最初の中国人選手になった。シーズンを通しての成績は平均5.1得点、3.6リバウンドだった。 |
||
[[2002年]]10月に、[[ドン・リード (バスケットボール)|ドン・リード]]らとの交換で[[デトロイト・ピストンズ]]へ、その数日後には、[[サンアントニオ・スパーズ]]へ移籍した<ref>{{cite web|url=http://www.cbssports.com/nba/story/5770541 |title=News briefs: Pistons trade Bateer to Spurs |publisher=[[CBSスポーツ]] |date=2002-10-03 |accessdate=2012-03-25 }}</ref>。スパーズでは出場機会がほとんど得られず、プレイオフのロスターからも外れた。2003年7月には[[トロント・ラプターズ]]と2年契約を結んだが<ref>{{cite web |url=http://www.highbeam.com/doc/1P1-76137818.html |title=Toronto Raptors Sign Mengke Bateer |publisher=highbeam.com |date=2003-07-17 |accessdate=2012-03-25 }}{{リンク切れ|date=2019年2月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>、ここでもベンチを暖める日が続いた。 |
[[2002年]]10月に、[[ドン・リード (バスケットボール)|ドン・リード]]らとの交換で[[デトロイト・ピストンズ]]へ、その数日後には、[[サンアントニオ・スパーズ]]へ移籍した<ref>{{cite web|url=http://www.cbssports.com/nba/story/5770541 |title=News briefs: Pistons trade Bateer to Spurs |publisher=[[CBSスポーツ]] |date=2002-10-03 |accessdate=2012-03-25 }}</ref>。スパーズでは出場機会がほとんど得られず、プレイオフのロスターからも外れた。2003年7月には[[トロント・ラプターズ]]と2年契約を結んだが<ref>{{cite web |url=http://www.highbeam.com/doc/1P1-76137818.html |title=Toronto Raptors Sign Mengke Bateer |publisher=highbeam.com |date=2003-07-17 |accessdate=2012-03-25 }}{{リンク切れ|date=2019年2月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>、ここでもベンチを暖める日が続いた。 |
2020年8月2日 (日) 21:45時点における版
引退 | |
---|---|
ポジション | センター |
基本情報 | |
愛称 | 大巴 |
国籍 | 中華人民共和国 |
生年月日 | 1975年11月20日(49歳) |
出身地 | 内モンゴル自治区 |
身長(現役時) | 211cm (6 ft 11 in) |
体重(現役時) | 140kg (309 lb) |
選手経歴 | |
1994-2002 2002 2002-2003 2003-2004 2004 2005-2007 2007-2014 |
北京ダックス デンバー・ナゲッツ サンアントニオ・スパーズ トロント・ラプターズ アルバカーキ・サンダーバーズ 北京ダックス 新疆フライングタイガースなど |
Stats Basketball-Reference.com | |
孟克・巴特爾(もうこく ばとくじ、メンケ・バータル、モンゴル語:Мөнхбаатар、英語:Mengke Bateer、1975年11月20日-)は、中国内蒙古オルドス市ハンギン旗出身のモンゴル族でバスケットボール選手。姚明、王治郅らと共に、「歩く万里の長城」という愛称を持ち、NBAでプレイした経験がある。中国では彼は "大巴" と呼ばれていた。「メンケ」は「永遠な」、「バータル」は「英雄」を意味する。身長211cm、体重140kg。ポジションはセンター。
経歴
1993年に18歳でバスケットボール中華人民共和国代表に選出され、1994年のアジア大会に出場、1996年と2000年のオリンピックでは先発センターとして出場し活躍した。2001年のユニバーシアードとアジア選手権ではチームを準優勝に導き、銀メダルを獲得した。1995年のユニバーシアードとアジア選手権、1998年、2002年のアジア競技大会、1999年のグッドウィルゲームズにも主力として出場した。
NBAドラフトではどのチームからも指名されなかったが、2001年の10月、デンバー・ナゲッツのトレーニングキャンプに招待される。プレシーズンゲームの2試合に出場した後解雇されたが、リーフ・ラフレンツに代わるセンターを探していたナゲッツと2002年2月に契約、王治郅に次いで2人目の中国籍NBA選手となった[1]。ナゲッツでは27試合に出場し10試合で先発、NBAで先発した最初の中国人選手になった。シーズンを通しての成績は平均5.1得点、3.6リバウンドだった。
2002年10月に、ドン・リードらとの交換でデトロイト・ピストンズへ、その数日後には、サンアントニオ・スパーズへ移籍した[2]。スパーズでは出場機会がほとんど得られず、プレイオフのロスターからも外れた。2003年7月にはトロント・ラプターズと2年契約を結んだが[3]、ここでもベンチを暖める日が続いた。
翌シーズンは、2004年10月にニューヨーク・ニックスと契約したが[4]、シーズン開幕前の11月に解雇され、しばらくはNBADLのハンツビル・フライトでプレイした。
2005年2月中旬、中国プロバスケットボールリーグの北京ダックスに復帰[5]、2007年に新疆フライングタイガースへトレードで移籍した。2008-2009年CBAレギュラーシーズンMVPを獲得。
脚注
- ^ “Nuggets Sign Bateer”. nba.com (2002年2月26日). 2012年3月25日閲覧。
- ^ “News briefs: Pistons trade Bateer to Spurs”. CBSスポーツ (2002年10月3日). 2012年3月25日閲覧。
- ^ “Toronto Raptors Sign Mengke Bateer”. highbeam.com (2003年7月17日). 2012年3月25日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Ford isn't recovered from spinal surgery”. ESPN (2004年10月4日). 2012年3月25日閲覧。
- ^ “Bateer highlights for Beijing Ducks' winning opener”. english.peopledaily.com.cn (2005年2月17日). 2012年3月25日閲覧。