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「須卜氏」の版間の差分

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'''須卜氏'''・'''須卜部'''(しゅうほく し/しゅうほく ぶ)は、[[匈奴]]の貴種の[[氏族]]。歴代[[単于]]を輩出した[[南匈奴#十九種族|屠各種]][[攣テイ氏|攣鞮氏]]と婚姻関係にあった<ref>『[[晋書]]』載記</ref>。後に[[鮮卑]][[拓跋部]]の[[北魏]]に仕え、[[孝文帝]]の[[漢化政策]]によって[[卜 (姓)|卜氏]]と称した<ref>『[[魏書]]』巻113「官氏志」9第19</ref>。
'''須卜氏'''・'''須卜部'''(しゅうほく し/しゅうほく ぶ)は、[[匈奴]]の貴種の[[氏族]]。歴代[[単于]]を輩出した[[南匈奴#十九種族|屠各種]][[攣鞮氏]]と婚姻関係にあった<ref>『[[晋書]]』載記</ref>。後に[[鮮卑]][[拓跋部]]の[[北魏]]に仕え、[[孝文帝]]の[[漢化政策]]によって[[卜 (姓)|卜氏]]と称した<ref>『[[魏書]]』巻113「官氏志」9第19</ref>。


須卜氏は、[[前漢]]初期の時代の[[冒頓単于]]に従い、[[呼延|呼延氏]](呼衍氏)・蘭氏とともに、匈奴の新興貴族として栄えた<ref>原文「諸大臣皆世官。呼衍氏,蘭氏,其後有須卜氏,此三姓其貴種也」(『[[史記]]』巻110匈奴列伝第50)。</ref><ref>原文「呼衍氏,蘭氏,其後有須卜氏,此三姓其貴種也」(『[[漢書]]』巻94上匈奴列伝第64上)。</ref>。
須卜氏は、[[前漢]]初期の時代の[[冒頓単于]]に従い、[[呼延|呼延氏]](呼衍氏)・蘭氏とともに、匈奴の新興貴族として栄えた<ref>原文「諸大臣皆世官。呼衍氏,蘭氏,其後有須卜氏,此三姓其貴種也」(『[[史記]]』巻110匈奴列伝第50)。</ref><ref>原文「呼衍氏,蘭氏,其後有須卜氏,此三姓其貴種也」(『[[漢書]]』巻94上匈奴列伝第64上)。</ref>。

2020年8月2日 (日) 21:26時点における最新版

須卜氏須卜部(しゅうほく し/しゅうほく ぶ)は、匈奴の貴種の氏族。歴代単于を輩出した屠各種攣鞮氏と婚姻関係にあった[1]。後に鮮卑拓跋部北魏に仕え、孝文帝漢化政策によって卜氏と称した[2]

須卜氏は、前漢初期の時代の冒頓単于に従い、呼延氏(呼衍氏)・蘭氏とともに、匈奴の新興貴族として栄えた[3][4]

後漢になると、須卜氏は丘林氏とともに南匈奴の「四大貴族」となった[5]

この系統から、須卜単于須卜骨都侯単于が出た。

脚注

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  1. ^ 晋書』載記
  2. ^ 魏書』巻113「官氏志」9第19
  3. ^ 原文「諸大臣皆世官。呼衍氏,蘭氏,其後有須卜氏,此三姓其貴種也」(『史記』巻110匈奴列伝第50)。
  4. ^ 原文「呼衍氏,蘭氏,其後有須卜氏,此三姓其貴種也」(『漢書』巻94上匈奴列伝第64上)。
  5. ^ 原文「異姓有呼衍氏、須卜氏、丘林氏、蘭氏四姓,為國中名族,常與單于婚姻。呼衍氏為左,蘭氏、須卜氏為右,主断獄聽訟,當決輕重,口白單于,無文書簿領焉」(『後漢書』巻89南匈奴列伝第79)。

関連項目

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