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'''游 泓'''(ゆう おう)は、[[五胡十六国時代]][[前燕]]の人物<ref name="Kotobank">{{Kotobank|冬寿|2=世界大百科事典}}</ref>。父は[[慕容カイ|慕容廆]]の龍驤長史[[游邃]]の兄の[[游暢]]。
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== 概要 ==
== 概要 ==

2020年8月1日 (土) 09:28時点における版

游 泓(ゆう おう)は、五胡十六国時代前燕の人物[1]。父は慕容廆の龍驤長史游邃の兄の游暢

概要

高句麗4世紀以降の国家発展に無視できない役割を果たした中国人の高句麗流入者の一人であり、338年建武4年)慕容皝の討伐にあい、宋晃封抽らとともに高句麗に逃亡した[2]

游泓は、高句麗に新文化をもたらし、国政の整備と軍備拡張と積極的な外交政策をすすめた[1]

脚注

  1. ^ a b 世界大百科事典『冬寿』 - コトバンク
  2. ^ 李成市『古代東アジアの民族と国家』岩波書店、1998年3月25日、24頁。ISBN 978-4000029032