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杜豹と鉅鹿恵君のあいだの子として生まれた。[[明元密杜皇后]]の兄にあたる。[[泰常]]年間、[[相州]]別駕となった。都の[[大同市|平城]]に使者を送ったが、法によって禁じられていたため、妹の皇后の消息を問うことができなかった。[[始光]]年間、陽平公の爵位を受け、南安公主([[太武帝]]の娘)を娶り、駙馬都尉の位を受け、大鴻臚卿に任じられた。太武帝はたびたび杜超の邸を訪れ、杜超に贈られた賞賜は巨万におよんだ。[[430年]]([[神カ|神䴥]]3年)7月、杜超は仮節・都督冀定相三州諸軍事・行征南大将軍・太宰となり、爵位を陽平王に進めて、[[鄴]]に駐屯した。10月、[[宋 (南朝)|南朝宋]]の王蟠龍の軍を撃破して、これを斬った。[[439年]]([[太延]]5年)、太武帝が[[北涼]]に親征すると、杜超は平涼・敷城の諸軍を率いて後詰めをつとめた。[[444年]]([[太平真君]]5年)4月、帳下で殺害された。[[諡]]は威王といった。 |
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== 子女 == |
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2020年7月31日 (金) 09:47時点における版
杜 超(と ちょう、生年不詳 - 444年)は、北魏の外戚。字は祖仁。本貫は魏郡鄴県。
経歴
杜豹と鉅鹿恵君のあいだの子として生まれた。明元密杜皇后の兄にあたる。泰常年間、相州別駕となった。都の平城に使者を送ったが、法によって禁じられていたため、妹の皇后の消息を問うことができなかった。始光年間、陽平公の爵位を受け、南安公主(太武帝の娘)を娶り、駙馬都尉の位を受け、大鴻臚卿に任じられた。太武帝はたびたび杜超の邸を訪れ、杜超に贈られた賞賜は巨万におよんだ。430年(神䴥3年)7月、杜超は仮節・都督冀定相三州諸軍事・行征南大将軍・太宰となり、爵位を陽平王に進めて、鄴に駐屯した。10月、南朝宋の王蟠龍の軍を撃破して、これを斬った。439年(太延5年)、太武帝が北涼に親征すると、杜超は平涼・敷城の諸軍を率いて後詰めをつとめた。444年(太平真君5年)4月、帳下で殺害された。諡は威王といった。