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[[楊津]]の長男として生まれた。性格は引きこもりがちで、30歳近くになって、初めて鎮西府主簿として出仕した。尚書郎に累進した。[[529年]]([[永安 (北魏)|永安]]2年)、[[孝荘帝]]が河内に避難すると、楊遁は帝の命を受けて山東の慰労にあたった。孝荘帝が[[洛陽]]に戻ると、楊遁は尚書左丞に任じられ、平南将軍・銀青光禄大夫の位を受けた。[[530年]](永安3年)、黄門郎を兼ねて[[鄴]]を訪れ、参行省事をつとめた。まもなく征東将軍・金紫光禄大夫の位を受けた。[[531年]]([[普泰]]元年)7月、洛陽で殺害された。享年は42。[[532年]]([[太昌]]元年)、車騎大将軍・[[儀同三司]]・[[幽州]][[刺史]]の位を追贈された。[[諡]]は恭定といった。 |
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== 伝記資料 == |
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2020年7月31日 (金) 09:47時点における最新版
楊 遁(よう とん、490年 - 531年)は、北魏の官僚。字は山才。本貫は恒農郡華陰県。
経歴
[編集]楊津の長男として生まれた。性格は引きこもりがちで、30歳近くになって、初めて鎮西府主簿として出仕した。尚書郎に累進した。529年(永安2年)、孝荘帝が河内に避難すると、楊遁は帝の命を受けて山東の慰労にあたった。孝荘帝が洛陽に戻ると、楊遁は尚書左丞に任じられ、平南将軍・銀青光禄大夫の位を受けた。530年(永安3年)、黄門郎を兼ねて鄴を訪れ、参行省事をつとめた。まもなく征東将軍・金紫光禄大夫の位を受けた。531年(普泰元年)7月、洛陽で殺害された。享年は42。532年(太昌元年)、車騎大将軍・儀同三司・幽州刺史の位を追贈された。諡は恭定といった。