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==== 大学におけるメディア・リテラシー教育 ==== |
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大学では、学生が映像制作し、地方局・CATVやインターネットで放送するところが増えている。茨城県では茨城大学・筑波大学・東京藝術大学がNHK水戸放送局と協力して「熱血スタジアム」という15分番組を月3回放送した。<ref>村野井均,岩佐淳一『NHK水戸放送局と協力して大学生の映像作品を放送する試み』茨城大学教育学部紀要(人文、社会科学、芸術)vol.56, 99-109.(2007)</ref>。 |
大学では、学生が映像制作し、地方局・CATVやインターネットで放送するところが増えている。茨城県では茨城大学・筑波大学・東京藝術大学がNHK水戸放送局と協力して「熱血スタジアム」という15分番組を月3回放送した。<ref>村野井均,岩佐淳一『NHK水戸放送局と協力して大学生の映像作品を放送する試み』茨城大学教育学部紀要(人文、社会科学、芸術)vol.56, 99-109.(2007)</ref>。 |
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信州大学は、CATVに「信州大学チャンネル」を1チャンネル持ち、講演会・研究会・市民講座を放送するだけでなく、学生が制作した作品も放送している。東京情報大学では、学生が毎週地元のCATVに番組を供給しているだけでなく、千葉県内の高等学校の放送部を支援して番組を作り、千葉テレビから放送している。中央大学・白 |
信州大学は、CATVに「信州大学チャンネル」を1チャンネル持ち、講演会・研究会・市民講座を放送するだけでなく、学生が制作した作品も放送している。東京情報大学では、学生が毎週地元のCATVに番組を供給しているだけでなく、千葉県内の高等学校の放送部を支援して番組を作り、千葉テレビから放送している。中央大学・白鷗大学・愛知淑徳大学なども学生が制作した番組をCATVから放送している。このように、大学ではメディア・リテラシーを制作・放送のレベルで行っている。 |
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2020年7月24日 (金) 11:41時点における版
国際的に有力な定義を総合的に勘案すると、メディア・リテラシーとは、民主主義社会におけるメディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディア・メッセージへアクセスし、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力である。また、用語としてのメディア・リテラシーはメディア・リテラシーの実践や運動を含む。
世界的に広く使われている有力な定義としては、NAMLE(全米メディア・リテラシー教育学会)やカナダのAML(メディア・リテラシー協会)の影響を受けて設立されたアメリカのCML(Center for Media Literacy)、EU、ユネスコによる定義があげられる。
NAMLEの定義は以下の通りである。「メディア・リテラシーとは、あらゆるコミュニケーション形態を用いてアクセス、分析、評価、創造し、行動する能力である。もっとも単純な用語としては、メディア・リテラシーは伝統的なリテラシーを土台とし、新しい読み書きの形態をもたらすものである。メディア・リテラシーは、人々を批判的に思考し、かつ創造し、効果的にコミュニケーションするアクティブな市民にする。」[1]
また、CMLの定義は以下の通りである。「メディア・リテラシーは、多様な形態(印刷からビデオ、インターネットまで)のメッセージへアクセス、分析、評価、創造、参加するための枠組みをもたらす。メディア・リテラシーは、社会におけるメディアの役割の理解を構築するとともに探究に必須のスキルであり、民主主義社会における市民の自己表現に不可欠なものである。」[2]
EUの定義は以下の通りである。「メディア・リテラシーはあらゆる技術的、認知的、社会的、市民的および創造的諸能力に関わるものであり、それらは私たちがメディアへアクセスし、その批判的理解とメディアとの関わりあいを可能にする。これらの諸能力によって私たちは批判的思考力を鍛えるとともに、社会の経済的、社会的、文化的側面に参加し、民主主義的プロセスへ積極的な役割を演じることを可能にする。」[3]
一方、ユネスコはメディア・リテラシーと図書館界を中心に概念が形成された情報リテラシー[4]を統合し、ニュース情報を批判的に評価する能力としてのニュース・リテラシー[5]や情報・コミュニケーション技術を用いる能力としてのデジタル・リテラシー[6]などの新たなリテラシーを包含したメディア情報リテラシー(Media and Information Literacy)と呼ばれる用語を用いる。ユネスコによる情報リテラシーおよびメディア・リテラシーの定義は以下の通りである。[7]
- 情報リテラシー
-
- 情報の必要性を明確化・区分化する。
- 情報の場所を特定し、アクセスする。
- 情報を批判的に評価する。
- 情報を組織する。
- 情報を倫理的に利用する。
- 情報を交流する。
- 情報の加工のためにICTを利用する。
- メディア・リテラシー
-
- 民主主義社会におけるメディアの役割と機能を理解する。
- メディアがその機能を十分に発揮しうる条件を理解する。
- メディア機能の観点からメディア・コンテンツを批判的に評価する。
- 自己表現、異文化間対話、民主主義的参加のためにメディアに取り組む。
- ユーザー・コンテンツを創造するのに必要なスキル(ICTを含む)を身につけて用いる。
なお、ユネスコの定義に見られるように、メディア・リテラシーは情報リテラシーやニュース・リテラシーとは異なる概念であることに注意が必要である。とりわけメディア・リテラシーと情報リテラシーの類似性や違いについてはさまざまな議論がある。[8]
メディア・リテラシーの基本原理
メディア・リテラシーの概念をより正確に理解するためには、その基本原理と発展過程を理解する必要がある。メディア・リテラシーの基本原理の多くはイギリスのメディア・リテラシー研究者のマスターマン(Len Masterman)の研究に負っている。それに加えて、マスターマンに影響を与えた理論や思想、さらにはカナダのメディア研究者マクルーハン(Herbert Marshall McLuhan)の影響についても考慮する必要があるが、本項では主としてメディア・リテラシーの基本原理に焦点を当てる。メディア・リテラシーの基本原理にとって重要な概念は、プロダクション(生産・制作)、リプリゼンテーション(テレビや演劇など、構成された表現・表象)、オーディエンス(視聴者)であり、これらの基礎概念の理解が求められる。また、用語としてのメディアがより具体的な表現であるメディア・テクストやメディア・メッセージといった用語に変化していった過程や、社会化の主体(エイジェント)としてのメディアという表現にも注目するとよいだろう。さらに、メディア・メッセージと情報の違いについても考えてみるとよい。メディア・リテラシーの基本原理は、メディア・リテラシーとは何か、メディア・リテラシーにおけるメディアとは何か、メディア・リテラシー教育はどのようにされるべきかといった原理的な問いに答えるものである。
メディア・リテラシーの原点
今日のメディア・リテラシーの理論にもっとも大きな影響をもたらしたのはマスターマンの『Teaching the Media』(1985)[9](邦訳『メディアを教える』世界思想社)[10]である。マスターマンの理論はイギリスのみならず、カナダのAMLやアメリカのCMLおよびNAMLEによって北米のメディア・リテラシー教育運動に大きな影響をもたらした。これらの組織はユネスコによるMIL(メディア情報リテラシー)プログラムの中心的位置を占めており、マスターマンの理論は今日のグローバルなメディア・リテラシー教育運動の土台となっている[11]。
彼のメディア・リテラシー思想の土台として、まず第一に、F・R・リーヴィスとデニス・トムソンらの文芸批評論があげられる。マスターマンは、彼らの『文化と環境(Culture and Environment:The Training of Critical Awareness)』(1933)[12]の出版がイギリスにおけるメディア教育の始まりだったと述べている(マスターマン邦訳前掲、p.53)。しかし、彼らの立場は新たなメディアがもたらす大衆文化(Popular Culture)から伝統的文化を守ることであった。
マスターマンは、彼らの伝統的なメディア教育論に対して、ロラン・バルト(Roland Barthes)の記号論、スチュアート・ホールらのカルチュラル・スタディーズ、グラムシ(Antonio Gramsci)のヘゲモニー論やパウロ・フレイレ(Paulo Freire)の批判的リテラシー論・解放の教育学をもとに、新しいメディア教育学(Media Pedagogy)を構想した(Masterman. op. cit. p.27)。その理論構成は、ほぼ同時期に構築されたヘンリー・ジルーの批判的教育学からの影響を見ることができる(Giroux,1983)[13]。実際、カナダ・トロント市にあるAML(メディア・リテラシー協会)は、マスターマンの理論のみならず、批判的教育学の理論からも影響を受けたといわれている(Wilson & Duncan,2009,p.139)[14]。
このようにして構築されたマスターマンの理論によれば、メディア・リテラシーのもっとも重要な原則は、「メディアは能動的に読み解かれるべき象徴的 (あるいは記号の)システムであり、外在的な現実の確実で自明な反映などではない」(マスターマン邦訳前掲、p.28)という点にある。そして、メディア・テクストを批判的に読み解くこととは、「単に送り出されたメッセージの内容だけでなく、それがどのように構成されどのような効果を生み出しているかに注意を向けること」(マスターマン邦訳前掲、p.155)であり、その教育の目的は「批判的主体」(Critical Autonomy)を育てることであった(Masterman. op. cit. p.25)。これがメディア・リテラシーにおける批判的思考の原点である。
メディア・リテラシーの基本原理
最初のメディア・リテラシーの基本原理は、AMLのダンカン(Barry Duncan)らによるメディア・リテラシーの8つのキー・コンセプトである。ダンカンらはマスターマンの理論の影響を強く受け、メディアの内容よりも伝達形態の重要性の指摘した「メディアはメッセージ(The medium is the Message)」[15]の言葉で著名なマクルーハンのメディア論と融合させながら、1987年にこれらのキー・コンセプトを作り上げた。この8つのキー・コンセプトはオンタリオ教育省発行の「メディア・リテラシー・リソース・ガイド(Media Literacy Resource Guide)」(1989)に収録されている[16]。さらにオンタリオ州のみならずカナダ全国の教職員研修に用いられた。同書では、メディア・リテラシーを次のように定義づけている。
「メディア・リテラシーはマスメディアの性質、マスメディアによって用いられたテクニック、およびこれらのテクニックの影響を十分かつ批判的に理解できるよう生徒たちを支援することに関わっている。さらに言えば、メディアがどのように機能し、メディアがどのように意味を作り出し、メディアがどのように組織され、そしてメディアがどのように現実を構成するのかということを生徒がより理解し、楽しむことができることを目的にしている。メディア・リテラシーはまた、生徒に対してメディア作品を創造する能力をもたらすことも目的としている。」
AMLによる8つのキー・コンセプトは以下の通りである。
- 8つのキー・コンセプト
-
- メディアはすべて構成されたものである
- メディアは現実を作り出す
- 視聴者はメディアを探りつつ意味を解釈する
- メディアは商業的な意味を含む
- メディアはイデオロギー的、価値的メッセージを含む
- メディアは社会的、政治的意味を含む
- メディアにおける形式と内容は密接に関連する
- メディアはそれぞれ独自の美的形式を持つ
しかし、これらのコンセプトにおけるメディア概念にはあいまいさがあるため、このコンセプトの作成に関わったプンジェンテ(John Pungente)は、メディアの概念をより明確にした改訂を行った(Pungente, John. (1999). Canada's Key Concepts of Media Literacy.)[17]。さらに現在のAMLはメディアとメディア・テクストを概念的に区別した新たな改訂版を公表した[18]。その内容は以下の通りである。
- 8つのキー・コンセプト(改訂版)
-
- メディアは、現実のリプリゼンテーションを構成する
- メディアは、多様な現実をリプリゼンテーションする
- オーディエンスは、メディア・テクストの意味を探りつつ解釈するために過去の経験とスキルを用いる
- メディア・テクストは、経済的な意味を持つ
- メディア・テクストは、価値観を持ったメッセージを伝える
- メディア・テクストは、政治的、社会的メッセージを伝える
- メディア・テクストの形式と内容は、意味を伝えるために相互に結びつく
- メディアは、それぞれ何が印象的で何が好ましいかを決定する独自の美的形式を持つ
AMLがメディア・テクストと呼ばれる用語を用いるのは、AMLの活動がマスターマンの理論の影響を強く受けており、その内容がオンタリオ州のカリキュラムにも反映されているからである。オンタリオ州のカリキュラムでは、メディア・リテラシーは、「多様なフォーマットのメディア・テクストの技とメッセージ交換に対する学習の結果」とされており、メディア・テクストは、オーディエンスに意味を伝える印刷、口語、映像などあらゆるフォーマットを含み、意味を伝えるための「言語」を持つ。(Ontario Ministry of Education, 2006, p.13)[19]
アメリカの研究者や活動家は1990年にトロント近郊のゲルフで開催されたAMLの会議に参加し、自分たち自身のセッションを開いた。ここから実質的なアメリカのメディア・リテラシー運動が始まった。参加者はコーヘン(Marilyn Cohen)、コンシダイン(David Considine)、ホッブス(Renee Hobbs)、ケルナー(Douglas Kellner)、クーベイ(Robert Kubey)、モーディ(Kathryn Moody)、ポッター(Jim Potter)、チェロウオレアリー(Renee Cherow-O’Leary)、ローウェ(Marieli Rowe)、トーマン(Elizabeth Thoman)、タイナー(Kathleen Tyner)の11名であった。この参加者グループが中核となり、アメリカでCMLやAMLA(現在のNAMLE)を設立することになる。[20]
まず、デイビス(J. Francis Davis)はAMLの8つのキー・コンセプトをもとにテレビを見るためのメディア・リテラシーの5つのアイデアを整理した(Davis, 1989)[21]。ただしこの5つのアイデアは保護者や子どもにもわかるように、テレビにのみ焦点を当てて作られたものであった。CMLの設立者の一人であるトーマンは、このアイデアをさらに発展させ、5つのコンセプトとしてまとめた(Thoman, 1993)[22]。さらに、トーマンはフレイレの理論をもとに、アウェアネス、分析、リフレクション、アクションの4つのステップを含む「エンパワーメント」の過程を描き、それをアクション・ラーニング・モデルとした。(Thoman, Ibid.)
その後、2002年にトーマン、ジョルズ、シェア(Jeff Share)らは、CMLから『21世紀へのリテラシー:メディア・リテラシー教育の概要とオリエンテーション・ガイド』(現在は第二版)を公表する(Thoman, Jolls, and Share, 2008)[23]。このガイドには、5つのコア・コンセプトに加えて5つのキー・クエスチョンが追加された。その理由は、子どもたちにコア・コンセプトを直接理解させることが難しいため、質問の形にする必要があったからである。キー・クエスチョンは読解と制作の二種類があり、どちらもコア・コンセプトと関係付けられている。さらに、メディア・リテラシーの5つのスキル(アクセス、分析、評価、創造、参加)、エンパワーメントのスパイラル(アウェアネス、分析、リフレクション、アクション)が追加された。
なお、同ガイドは、メディア・リテラシーを「教育への21世紀を志向するアプローチであり、多様なフォーマットのメッセージを使用するための、アクセス、分析、評価、創造、参加の枠組みをもたらすとともに、社会におけるメディアの役割の理解と民主主義社会の市民に求められる探究と自己表現のスキルを構築するもの」と定義している。コア・コンセプトとキー・クエスチョンは以下の通りである。
- メディア・リテラシーのコア・コンセプト
-
- メディア・メッセージはすべて「構成された」ものである
- メディア・メッセージは創造的言語とそのルールを用いて構成されている
- 多様な人々が同じメディア・メッセージを多様に受け止める
- メディアは価値観と視点を含んでいる
- ほとんどのメディア・メッセージは、利益を得るため、および/または権力を得るために作られる
- 5キー・クエスチョン:読解
-
- 誰がこのメッセージを作ったのか?
- どんな創作テクニックが私の関心を引くために使われたのか?
- このメッセージの他の人々の理解はどのように異なっているか?
- このメッセージにはどんな価値観やライフスタイル、視点が表現されているか、あるいは排除されているか?
- なぜこのメッセージは送られたのか?
- 5キー・クエスチョン:制作
-
- 私は何を制作しているのか?
- 私のメッセージはフォーマット、創造性、テクノロジーに意見が反映されているか?
- 私のメッセージはターゲット・オーディエンスの心を捉え、動かしているか?
- 私はコンテンツの中で、価値観やライフスタイル、視点を明確かつ一貫して構成したか?
- 私は目的を効果的に伝えたか?
メディア・リテラシー教育の基本原理
メディア・リテラシーの基本原理を教育の場で実現するための教育原理がメディア・リテラシー教育の原理である。前者がメディア・リテラシーの原理そのものに焦点を当てるのに対して、後者は教育実践の原理と方法に焦点を当てたものだと言える。その初源は、マスターマンの「メディア・アウエアネス教育18の基本原則」である。これは、AMLのニュースレターに掲載された1995年版(翻訳:鈴木みどり編著『メディア・リテラシーの現在と未来』世界思想社、2001:296-297)とCMLのサイトに掲載された1989年版があり[24]、項目の内容や表現に多少の違いがある。メディア教育と表記されているが、メディア・リテラシー教育と同じ意味である。
- メディア・アウエアネス教育18の基本原則(1989年版)
-
- メディア教育は重大かつ意義ある試みである。問われているのは個々人とりわけマイノリティのエンパワーメントと社会の民主的構造の強化である。
- メディア教育を統合する中心的コンセプトはリプリゼンテーションである。メディアは媒介する。メディアは世界を反映するのではなくリプリゼンテーションする。
- メディア教育は生涯にわたるプロセスである。それゆえに、学習者の高いモチベーションが主要な目的にならなければならない。
- メディア教育は単に批判的知性を育てるのではなく、批判的主体を育てる。
- メディア教育は探究である。メディア教育は特定の文化や政治的価値を押し付けない。
- メディア教育は状況と機会を重視する。メディア教育は学習者の生活状況に光をあてる。そして、メディア教育は「今、この場」を、広く歴史的かつイデオロギー的な問題の文脈に置くであろう。
- メディア教育で用いるコンテンツは目的のための手段である。その目的は別のコンテンツではなく、他の場面に応用できる分析的なツールを開発することにある。
- メディア教育の有効性は次の二つの基準によって評価される。
- (a)新しい状況に生徒自らの批判的思考を用いる能力
- (b)生徒が示す関与と動機の深さ
- 理想としては、メディア教育における評価は、形成的かつ総括的な学習者の自己評価の手段である。
- 実際、メディア教育は内省と対話双方のための対象を提供することによって、教えるものと教わるものの関係を変革する試みである。
- メディア教育は単なる討論ではなく、対話を通して探究する。
- メディア教育は基本的に活動的かつ参加型であり、より開かれた民主的な教育実践の展開を促進する。メディア教育は学習者に自らの学習に対してより責任を持ち、学習を自己管理し、授業の計画に参加し、そして自らの学習に長期にわたる視野を持つように力づける。
- メディア教育は新しい教科領域の導入に関わるよりも、より教室での新しい活動の方法に関わっている。
- メディア教育は協働学習を含む。協働学習はグループに焦点を当てる。個々人の学習は競争ではなく洞察とグループ全体のリソースに関わることによって強化される。
- メディア教育は実践的批判と批判的実践の双方から成り立っている。それは文化的再生産に対する文化的批判の優位性を確認するものである。
- メディア教育はホーリステックなプロセスである。理念的には保護者やメディア専門家、教職員同士の関係を形作るものである。
- メディア教育は絶えざる変革の原理に関わっている。それは絶えず変化していく現実とともに発展しなければならない。
- メディア教育の土台にあるのは差異の哲学的認識論(エピステモロジー)である。すなわち、既存の知識は単に教師によって伝えられたり、学習者によって「発見される」のではない。それは目的ではなく始まりである。それは批判的探究と対話の対象であり、そこから新しい知識は学習者と教師たちによって能動的に創造されるのである。
NAMLEは、2007年にマスターマンの18の基本原則を受け継ぎつつ、メディア・リテラシー教育に関する6つの中核原理を公表した[25]。この中核原理はCMLのコア・コンセプトを含んでおり、それを教育の場でどのように実践するかという問題に焦点をおいて作られた。この中核原理の公表と同時にNAMLEはその前身のAMLA(Aliance for Media Literaited America)から名称を変更している。それはメディア・リテラシーからメディア・リテラシー教育への大きな運動の転換を意味するものであった。この中核原理は6つの原理とその原理からもたらされるより具体的な下位項目から構成されている。ここでは基本項目のみを掲載する。
- メディア・リテラシー教育の中核原理
-
- メディア・リテラシー教育は、私たちが受信し、創造するメッセージについての積極的な探究と批判的思考を要求する。
- メディア・リテラシー教育は、リテラシーの概念(すなわち読み書き)をあらゆるメディアの形態に拡張する。
- メディア・リテラシー教育は、あらゆる年齢層の学習者に対して行われ、スキルの向上を図る。識字能力のように、それらのスキルは統合され、インタラクティブに繰り返し、練習される必要がある。
- メディア・リテラシー教育は、民主主義社会に不可欠な、情報に通じ、深く考え、積極的に関わっていく社会への参加者を育てる。
- メディア・リテラシー教育は、メディアが文化の一部であり、社会化の主体(エイジェント)として機能することを認識する。
- メディア・リテラシー教育は、人々がメディア・メッセージから自分自身の意味を作り出すために、自分たちのスキルや心情、経験を利用すると確信する。
※なお、上記事中に用いた翻訳は許可を得てAMILEC(アジア太平洋メディア情報リテラシー教育センター )のサイトから転載したものである。メディア・リテラシー教育の中核原理の全文訳も同サイトに掲載されている。
歴史
諸外国の状況
イギリスでのメディア・リテラシーの萌芽として、1933年に、F・R・リーヴィスとデニス・トンプソン(トムソン)がマスメディアを批判的に読み解くことについて言及している。ただし、リーヴィスらは、現在のメディア・リテラシーの意味とは違い、大衆文化の影響を避け、正統なものを見分けることを求めていた。他方、アドルフ・ヒトラーの情報操作が他国でも問題になっており、BBCでプロパガンダを見分ける放送が行われたり、1936年にローマ教皇によりメディア教育を授業に組み入れるよう呼びかけが行われた。その後、1960年代には、メディアの中からより高級なものに興味を持てるようにする教育がよく取り入れられた。
しかし、1970年代にかけて、メディアが大衆に受け入れられ表現も多様化されていった中で、イギリス・ノッティンガム大学のレン・マスターマンが、1985年に『メディアを教える』(Teaching the Media)[26]を出版した。マスターマンは、「メディア・リテラシーは単にクリティカルな知力を養うだけでなく、クリティカルな主体性を養うことを目的する」と述べ、後に、「メディア・リテラシーの18の基本原則」をまとめている。
一方、カナダでは1960年代、マーシャル・マクルーハンのメディア分析と時を同じくして、社会問題を考えるための映画分析が学校教育で行われていた。1966年には、トロントで、映画教育教会が設立されている。
その後、1970年代に教育の保守化・予算削減などが原因で映画教育の動きは下火になったが、バリー・ダンカンにより、メディア・リテラシー教会(AML)が作られ、草の根ベースのメディア・リテラシー活動を行っていた。このメディア・リテラシー教会の政府への働きかけなどにより、1987年、メディア・リテラシーがカナダのオンタリオ州のカリキュラムとして導入され、1989年、オンタリオ州教育省からメディア・リテラシーの教育者向けガイド[27]が発行された。
このように、1980年代後半からは、カナダ・イギリスなどでメディア・リテラシーを学校教育に取り入れることも盛んになってきた。
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日本
日本におけるメディア・リテラシー以前の状況
江戸時代、日本では情報規制が厳しく行われていた。特に幕末では、倒幕派や攘夷派の起こした事件は、瓦版などで大きく報道できなかった。そのため、瓦版の版元は隠語などを用いて発行し、知識のある者がそれを読み取っていた。
昭和初期には、大陸での陸軍の暴走(満州事変など一連の大陸での事件)がメディアによって支持され、世論により政府の不拡大政策は崩れた。さらに、第二次世界大戦勃発後、ドイツの快進撃が報道されるに及び、ドイツとの同盟論が復活(ドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んだことにより、同盟論は沈静化していた)し、その上英米に歩み寄る政府の姿勢をメディアが批判的に報道し、世論は対英米協調に反対を示し、それに乗じた陸軍の工作により、協調路線をとる米内光政内閣は崩壊した。一つの見方では、メディア・リテラシーの欠如が日中戦争の拡大を促し、太平洋戦争を勃発させたとも言える。
太平洋戦争下では、新聞は法律によって統制され、放送局は事実上の国営局一つだけなど、露骨な情報操作が行われていた。報道や軍事などに詳しいものであれば疑うこともある内容ではあったが、軍部による言論の弾圧もあったため、疑念を表に出すことがあれば非国民とされ、生きていくこともままならなかった状況でもあった。もしメディア・リテラシー教育が行き届いていたとしても、開戦自体を止められなければ無力であるとも言え、常日頃のメディア・リテラシーが重要であることを示唆している。
戦後(1957年)、テレビによるマスコミの悪影響が一億総白痴化などと言われたことがあった。「テレビというメディアは非常に低俗な物であり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう。」といったもので、現代におけるインターネット批判と同様の事が50年も前から起こっていた。しかし、メディア・リテラシー教育は無かったため、そういったメディアを読み、聞き、見ていく訓練は自主的に行わなければならなかった。
日本のメディア・リテラシーの発展
日本では、メディア・リテラシーが3つの領域から発展している。ひとつは、前述の諸外国によるメディアリテラシーの輸入、もうひとつは、視聴覚教育やコンピュータ・情報教育からの発展、そして専門学校・大学・企業などで職業訓練の一環として行われるものである[28]。
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メディア・リテラシー導入以降の状況
物心ついたころからテレビがどこかにあった世代(団塊の世代後期〜)においては、テレビや新聞は絶対であり、テレビや新聞など大手の情報源以外の情報は取るに足らないとする風潮が強かった[要出典]。読売新聞(2006年10月20日)のアンケートによって、50歳代で最も高い92 %、最も低い20歳代でさえ83 %が新聞を「大いに信頼できる」「だいたい信頼できる」と返答したが、各新聞社による虚偽報道や偏向報道、捏造や誤報は後を絶たない。
また、テレビでも2007年1月に起こった情報バラエティー番組「発掘!あるある大事典II」(フジテレビ)における「納豆ダイエット」データ捏造問題や、2011年1月に起こったニュース番組「news every.サタデー」(日本テレビ)における取材対象の企業の社員を一般客に装ったやらせ演出など虚偽情報を放送する事件が度々起きており、メディア・リテラシー教育の必要性は全年代にあると言える。 何れのメディアも、虚偽の内容や誤った情報、そして古い情報が紛れ込んでいる可能性は大いにある。他の文献などのカウンターメディアを参照し、より精確な理解を深めることが必要である。
しかし日本人はまだまだマスメディア信仰が強い。例えば、先の「発掘!あるある大事典II」捏造事件では納豆が全国で売り切れたという騒動が発生するように、マスメディアが「○○は健康によい」と言うとすぐに飛びつく傾向がある。また、小泉政権時の 2005年郵政選挙ではメディアが好意的な記事を流し続けたため問題点があっても誰もが小泉政権を支持しているように見なされ、彼が勇退したあとその問題点が噴出した例もある[29]。ニューズウィーク日本版では日本人のマスコミ信頼度が欧米に比べて著しく高く、情報操作を疑わず世論誘導されやすい日本人に対して、日本人はマスコミが報じる情報をそのままを鵜呑みにせず、自分で考える必要があると述べている[30]。しかし、インターネットの普及により誰でもが意見を広げる事が出来るとマスコミの報じる情報に疑問を呈する傾向が出て、例えば新聞が盛んに推進する新聞・書籍に軽減税率を適用するという意見については、2014年8月の日本新聞協会のアンケートでは肯定的な人が76.0 %であるのに対し(中日新聞2014年10月11日付け記事)、Yahoo! の意識調査では32.8 %に止どまっており、新聞とインターネットの意識調査間に乖離が生じる結果となった[31]。
一方でインターネットの普及は従来のメディアとは比較にならないほどの膨大な情報を受け手にもたらすこととなり、また送り手のハードルも低くなった。その結果2016年に大手ネットサービス企業DeNAのヘルスケア情報サイトで誤った内容や著作権侵害があった事が大きな問題となった。一部新聞では情報企業の無責任ぶりを批判していたが[32]、受け手の方も玉石混交の情報を鵜呑みのする事はせずに情報をしっかり見極める事が必要とされる。
メディア・リテラシー教育
日本におけるメディア・リテラシー教育
この節の加筆が望まれています。 |
2012年現在、日本の学習指導要領に「メディア・リテラシー」の文言は、まだない。しかしながら、例えば、「総合的な学習の時間」で「情報」を扱い、中学校の美術の表現活動として「映像メディアの積極的な活用」がなされ、技術・家庭科の技術分野では「多様なメディアを複合し、表現や発信ができること」が目標とされており、実質的なメディア・リテラシー教育も、さまざまなところで行われている。 しかしながら、子供のみならず、教師に対するメディア・リテラシー教育も必要であるとの指摘もある[33]。情報メディア研究家の保岡裕之は、メディア・リテラシーの言葉・概念を知っている学生は7割以上いるが、具体的に情報を適切に評価・活用できておらず、むしろ退化している人がふえているのではとも指摘している[34]。
日本のメディア・リテラシー教育の実例としては、
- 「NIE」による教育での、メディアに対する読解力の向上。
- 英語の教科書でメディア・リテラシーの概念についての読解。
- 東京大学大学院情報学環教育部が、東京大学をはじめとする学部学生や大学院生、社会人を対象にしたメディア・リテラシー専門教育の実施。
などがある。
「情報を発信する力」を育成する意義
メディア・リテラシーは、市民のエンパワーメントを目的としている。かつて、文字の読み書きが貴族、それも主に男性だけに認められた時代から、教育によってすべての国民が読み書きする時代になった。映像制作や放送も、放送局だけが行うことでなく、すべての国民が自己表現、自己主張することを目指さなければないのである。リテラシーが識字、つまり読み書きなのであるから、「書き」の部分の教育方法の開発や作品を公表するために地域との協力体制作りが必要である。福井県では県内の小・中・高等学校がNHK福井放送局と協力して、児童・生徒が制作した番組を「発信マイスクール」という5分間のコーナーで放送してきた。2000年から5年間で135校、県内の学校の35%が番組を制作し、放送した。普段の子供の姿が映るため、保護者に安心感を与え、学校のイメージアップにつながった。マスコミで流される学校のイメージは悪いため、ギャップに気づかされることになるのである。子供の作品が大人のメディア・リテラシー教材となるのである。また、学校によってはケーブルテスト(Cable Test)を行ったり、学校評価に使うところもあった。メディアを使う立場になれば、単なる視聴者からすぐに脱却できることがわかる。[35]。
教科書の変化
2000年から小・中学校の国語教科書に「ニュース番組を作ろう」などの内容が入った。自分たちのニュース番組を作るために構成表を書き、調査に行くことが示されている。ビデオカメラで撮影する姿や、「校内放送してみんなで見るのも楽しいでしょう」と制作、放送を勧めている。
大学におけるメディア・リテラシー教育
大学では、学生が映像制作し、地方局・CATVやインターネットで放送するところが増えている。茨城県では茨城大学・筑波大学・東京藝術大学がNHK水戸放送局と協力して「熱血スタジアム」という15分番組を月3回放送した。[36]。 信州大学は、CATVに「信州大学チャンネル」を1チャンネル持ち、講演会・研究会・市民講座を放送するだけでなく、学生が制作した作品も放送している。東京情報大学では、学生が毎週地元のCATVに番組を供給しているだけでなく、千葉県内の高等学校の放送部を支援して番組を作り、千葉テレビから放送している。中央大学・白鷗大学・愛知淑徳大学なども学生が制作した番組をCATVから放送している。このように、大学ではメディア・リテラシーを制作・放送のレベルで行っている。
現代の動向
現代では各種メディアが大きく発達したのに合わせ、以前よりも情報の必要性・重要性が増しており、同じく情報のもたらす影響も以前より遥かに大きくなっていると言える。また、情報をテレビのみに依存しがちになることが増えているほか、インターネットの普及により、未成年の段階から大量の情報に触れる機会も多くなっている。そのため、早い段階からのリテラシー教育の必要性が指摘されている。
メディア・リテラシーの提案者
学校カリキュラムにおけるメディア教育に関する資料については、EUソクラテス・プロジェクトを参照のこと。
要因別に見た情報の偏りの例
以下に、情報の偏りが生じる要因を挙げ、それぞれについて各種メディアにおける具体例を挙げる。
物理的な制約
情報を伝えようとする場合、どのような性質をもつメディアを使うかによって伝え方や表現の仕方、伝えられる情報に差が生じる。各メディアにはそれぞれ長所と短所が存在する。またその情報容量や時間の制限、編集規定等により情報の取材や編集の過程にも影響を与える。何か一つの物事(物、人物、集団、出来事等)に関する情報を伝える際、その物事の「全て」を伝えることは物理的に不可能であり、この点は情報を伝える媒体を問わない。このような物理的な理由から、情報を伝える際には、その情報を発信する表現者(情報を伝える個人あるいは組織)は情報の取捨選択をしなければならない。つまり情報を伝えるには、表現者が必ず何かしらの編集を行わざるを得ず、そうして伝えられる情報は必ず「実際の物事の姿」とは異なるものとならざるを得ない。
新聞・雑誌の例
新聞や雑誌などでは紙面が足りない場合見出しや記述を小さくしたり取り上げないこともある。継続中の企画や連載に紙面を割く一方で突発的な出来事や重大事故、重要な行事のために紙面を変える事も多い。また、印刷や配達の時間を取らなければならないため予め数パターンの記事を書いておく。原稿落ちや広告の都合で紙面に穴が開いたり余白がでる場合は埋め草としての記事を書くといったこともある。
Webページの例
インターネット上の情報についても掲載者に時間的余裕がなくなったりプロバイダに掲載料金を払えなくなったりした場合更新が停止されたり規模が縮小されることもあり、最終的にはページやサイト自体が消えたりする。それ以外のリスクとしてはクラッキングによる改変、記憶装置の劣化により情報が消える、プロバイダーによる削除やプロバイダーの閉鎖もあり得る。またアクセス制御をする方法としては、ロボット型検索エンジンの検索ロボットに回収されたくないファイルがある場合それを指定する手段として、HTMLファイル内に検索を拒否することを明記したメタタグを記入したり、Webサーバの公開ディレクトリ最上層にロボットの挙動を指定するファイルを配置して行動を制御するという方法がある。しかし、検索ロボットによってはこのような指定を無視するものもある。荒らし行為に対してはアクセス解析を元にした特定サイトからの移動履歴(リファラ)のある利用者、NGワード使用者、に対するアクセス禁止、ページの削除やサイト閉鎖がある。それ以外の要因では、法律の改正による違法化やネットブラウザの管理者によるフィルタリング、行政によるネット検閲等情報への規制によって接触できる情報の構成が変わってくることもある。
表現者の立場による情報の偏り
一般に、同じ事物に関する情報であっても、その事物に関する見方は情報ごとに(程度の差こそあれども)偏りが生じている。これは、その事物に関する捉え方あるいは評価が表現者(情報を発信する個人あるいは組織)ごとによって異なり、このことが表現者が発信する情報にも影響を与えるためである。捉え方の違いを生む要因として重要なものの一つとして、表現者ごとに種々の立場が違っている点が挙げられる。この違いがもたらす情報への偏りの影響は程度の差はあるが、一般に大きなものとなりがちである。なお、この偏りは、あくまでも情報を発信する側の要因によって発生するものであるため、情報を発信するメディア(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・書籍・インターネット・口頭・音楽・映画等)を問わず発生する。
球団と新聞社の関係の例
プロ野球リーグにおいて、A球団とそのライバルであるB球団が存在したとする。この場合、A球団のオーナーである企業系列の新聞であるC紙では、自社と関係の深いA球団を日頃から応援・激励する傾向となるが、B球団のオーナーである企業系列の新聞であるD紙は、自社と関係のあるB球団に敵対するA球団をけなしたりこき下ろしたりする傾向となる。更に、「今日のゲームは7対5でA球団が勝利」という一つの情報を報道するにしても、C紙ではA球団の勝利を評価する内容の報道を行い、D紙ではA球団の勝利を悔しがる内容の報道を行う傾向にある。
各種著作物の例
雑誌や書籍等の印刷物、インターネットのサイト・電子掲示板(BBS)・ブログ等においても、特定の人物や企業、国家やその政策方針等の事物に関する執筆をする際、著者の事物に対する感情、著者と事物との間にある関係、更には著者の主義・思想等により、文章・内容が事物に対して肯定的あるいは否定的と分かれることが多い。例えば、掲示板に、ある人物を批判する書き込みがあったとしても、普段からその人物をよく思っていない人の意見や、その人のせいで不利益を受けている人の意見は、批判側に傾きがちであり、逆に、その人物に好印象を抱いていたり、その存在が自分にとって利益になる場合には擁護する意見となるのが普通である。また、書籍やブログを執筆する際、著者は、自身と似た価値観・主義・思想の人物や政策、あるいは利害関係の一致する人物や自身にメリットのある政策等に対して支持、肯定的な著述を行い、反対に自身と異なる価値観・主義・思想の人物や政策、または自身にとって不都合な人物や政策等に対して反対、否定的な著述を行いがちである。
広告等の故意による例
著述の偏りは、表現者の捉え方の違いから発生するものであるため、仮に表現者が情報の中立性を極力保とうと意識していたとしても、無意識の内に発信する情報に影響が現れることが少なくない。しかしその一方で、表現者が自身の立場に起因する特定の目的(一例として商品の販売促進、特定の主義・思想の敷衍等)を実現するために、故意に偏った見方の情報を発信するケースも多い(身近なものとしてはCM等、ケースによってはプロパガンダ等が挙げられる)。既存メディアに加え、口コミやインターネットといった個人発信型メディアも発達している現代では、そのようなケースも日常的に見られるようになっている。
無意識の内に偏った情報にしても、故意に偏らせた情報にしても、その情報は受け手に偏った影響を与えやすい。それを少しでも防ぐ為には、メディアから発信される情報が、表現者の立場によって違う見方となることをあらかじめ理解し、情報を受け取る際には、表現者である人物や組織の立場(例えば価値観・主義・思想・信仰・主張・役職・利害関係等)を念頭に置いた上で情報を受け取る必要がある。
なお、表現者の立場による偏りについて、情報を受ける側は十分に注意を払わなければならないが、先に記した通り、各々の表現者が自身の立場・捉え方に基づいた、自由な情報発信・意見交換が行えること自体は望ましいことであり、社会の健全さを表す一つの指標となる。
安保法案を巡る報道
2015年の国会は安保法案をめぐって与野党が激しく対立した。また、新聞も安保法案に賛成するものと反対するものとで大きく分かれた。
安保法案を支持する新聞(仮に新聞Aとする)では社説で北朝鮮の核の問題や中国の軍事的脅威を背景に安保法案は必要とする論調を繰り返したが、反対する新聞(仮に新聞Bとする)では、平和維持の為、または日本が戦争に巻き込まれるという危惧よりで安保法案は反対と主張していた。社説だけではなく一般紙面の構成も大きく異なっており、新聞Aでは法案成立を喜ぶ国会議員や安保反対デモを監視する警察の写真を大きく取り上げたのに対して、新聞Bでは安保反対のデモに参加する人々の写真を大きく取り上げたり。法案に反対する識者の意見を多く載せたりしていた。
このように1つの出来事に対して新聞で大きく意見が異なることからNIE(教育に新聞を)では複数の新聞を読むことを推奨している[37] 。
情報操作
表現者の編集次第では、情報を意図的に改変・誇張して発信する(情報操作)ことにより受信者(聞き手、読者、視聴者、世論等)の考えを一定の方向に誘導することができる。
表現手法による情報・印象操作の可能性
例えばテレビ・ニュースの一コマにおいて、その構成や編集によって、事実から大きくかけ離れた印象を受ける可能性がある。
- まず、「何を撮るか」に取捨選択が働いている
- その場面を肯定的に伝えるか、否定的に伝えるかは、編集次第である。
- 明るいBGMを流し、キャスター、ナレーター、コメンテーターが肯定的なコメントをすれば支持・宣伝に、逆に不安を掻き立てるようなBGMを流し、批判的なコメントをつければ告発に
- 印象操作の為の表現方法は非常に多種多様であるが、テレビ・ニュースを視聴する際は、キャスターやナレーターの言葉はもちろんの事、同時に流される映像や効果音等に対しても注意して視聴するのが望ましい。なお、新聞や雑誌でも同じく情報・印象操作がある(新聞であれば、記事の見出しや内容、社説やコラム中のコメントを工夫する。また、同じ出来事の報道でも、A紙では一面に大きな見出しを立てて報じているにもかかわらず、B紙では三面の隅のほうに小さなスペースで報じている場合も少なくない)。
2012年1月、インターネット上で店の評判を書き込む「食べログ」を舞台にサクラ的な口コミを投稿するなど、「ステマ」と呼ばれる行為が話題になった[38]。「ステマ」とはステルスマーケティングの略で、関係者が一般人を装って商品やサービスを褒める口コミを広げるなどのマーケティング手法を指し、「食べログ」読者を装って、高い評価を得ることによって店の評判を上げたいと思っている店舗に対し、金を使って情報操作を請け負う業者の暗躍が表面化した。このような悪意に満ちた情報操作も横行している。表面に現れている文言に惑わされないような裏読み、深読みなど少し疑って読むことも必要である。特にインターネット上の情報に関しては鵜呑みにせず、他のサイトや、他の情報も参照するなどの注意が必要である。
「語られない情報」の存在
テレビや新聞のニュースで触れられない情報の存在も常に念頭においておく必要がある。特に、広告主(スポンサー)から広告収入を得ているマスメディアでは、自身の広告主を批判することは、極めて難しい。これは、仮に広告主に対して批判的な報道を行えば、その広告主が降板してしまい広告収入が減ってしまう、あるいは広告主から何かしらの圧力を受けるといった事態を招く事は必至だからであり、基本的に営利追求を目的とするマスメディア企業としては、そのような事態を招きたくないためである。そのため、自身の広告主への批判を自主規制してしまうことが多い。
米国でも意図的に政権批判を避けることがある。大富豪婦人の謎の死と戦争を比べ、報道の過熱は社会への影響を考えるとどちらがより重大であろうか?[39]
- 2006年4月29日にホワイトハウス記者クラブにてブッシュ大統領をねぎらう晩餐会(これを行ったと言う事実は日本で報道されている)において、スティーヴン・コルベアというコメディアンがブッシュ大統領の目前で徹底的にほめ殺し、正面切って政策、そして当時政府の広報機関と化していた各マスメディアの批判をした事はほとんどのメディアが報じなかった。報じたのはCNN(一部のみ)とC-SPANだけである。その後事実隠蔽に対してインターネットで騒ぎになり、ワシントンポスト紙が釈明するという事態になった。接するメディアの数によって知る事実が変わってくると言う一つの例である。
またマスメディアが自分たちの企業自身の不祥事・問題について報道することはゼロに等しい。逆に、自社のライバルとなる企業の不祥事に対しては鬼の首を取ったような執拗な報道をするメディア企業もある。
このあたりの背景は、マスメディアが報道自体を控えてしまうため、そのマスメディアしか利用していない人の場合、気付く事が難しいという面がある。しかし、それでも、複数のメディアを利用する(例えば一局だけでなく他の局のテレビ・ニュースも見る、他の新聞社の新聞も読む、書籍やインターネット上の情報も参照する、等)事によりある程度理解する事は可能であるが、その捏造や意図的な隠蔽などを指摘する他メディアを無条件で信用してしまうこともまた、大規模なマスメディアを疑わないのと同程度に危険であることを意識しておく必要がある。また逆に言えば、マスメディアの情報を全て疑ってかかり、嘘であると信じ込むのも、同じく危険と言える。起こった事実は一つしかないし変化のさせようがないが、どういう形でどのくらい伝えるか、誰が知り、誰が伝え、誰に伝わるかによって、知る事実の全体や真実は変わってくる、ということである。
- 例として、旅行の男女差について述べる。2010年に「女子会」が新語・流行語大賞トップ10に入ったのを機に、その派生語として「女子旅」などが盛んに使われ始めた。メディアが盛んに「女子旅」を使用する為、男性の旅行は目立たない存在だったが、実際は一人旅をする男性も増えてきている。しかしテレビ・新聞などの大手メディアはその事実を黙殺してきた傾向があった[40] 。
肝要なのはある事象についてなるべく多くのメディアから情報を入手し、メディアを保有する媒体社も営利を目的とする企業であり(これはNHKなどの公共媒体団体も大きな変化はなく、団体が解散すれば失業者が出る)利害が存在し、なおかつ媒体、行政機関、またはメディアに関わってくる各種団体などの組織に関わる人々には個々に思想があり、個々人ごとの社会や人間との様々なつながりがある事を前提にし、自分自身で時に自己批判をし、時に受諾しながらその都度考えていくことである。リテラシーの根本は、情報を与えられるその度に自ら考えることである。
ただし、先にも言ったように「事実は一つしかないが、真実は人の数だけある」ということを知っておくべきである。いかに客観的であろうとしても、自分の中で作り上げられた事実のイメージ(または真実と解釈しているもの)はその時点で既に偏っているのである。客観とは「どの程度主観から距離を置けるか」という問題であり、生を全うするために判断行動するという生物の根源的な動きがある限り、本当の意味で客観的な立場をとることは永遠に不可能なのである。
また、広告主を始め、自分が利用しているマスメディアと何かしらの繋がりがある存在(人物、企業、団体、政党、国家等)をあらかじめ知っておく、といった事も役に立つ。
多少特殊な事例として、太平洋戦争中の日本では天気予報が規制されたことがあった。これはスパイなどに予報を入手され空襲等に利用できる情報として応用されるなどの懸念からである。上記の例に合わせれば、これは日本という国家が当時敵対していたソ連、イギリス、アメリカなどの諜報員を警戒した規制であるといえる。
企業や個人の不祥事を巡る報道
2013年〜2014年はホテルや百貨店での食品偽装問題や食品への異物混入、JR北海道で続発したトラブル等企業の不祥事が相次いだ。食品や鉄道は生活に身近な存在であるためか、このような受け手の関心を誘う問題をセンセーショナルに取り上げると更にその問題をエスカレートする形で取り上げる傾向にある。このような報道は受け手の関心が高まる為メディア企業の収益も上がるが、このように度を過ぎた報道は興味本位になる傾向にあり、結果として池に落ちた犬を叩くような報道となる。このようないじめまがいの報道に疑問を呈する人もいるが、メディアは公平さよりも面白ければよいと言う考え方で、その体質を変えるのは困難とされる[41]。
また2016年6月には舛添要一東京都知事が政治資金不正疑惑で辞任したが、辞任に至るまでの報道は異常であった。政治問題を殆ど取り上げないワイドショーまでが一様に取り上げ、その報道姿勢に対して「スッキリ!!」に出演していた評論家が「いじめ」と批判したほどである[42]。
その対策として受け手がメディアのヒステリックな報道に振り回される事なくいろいろな角度から物事を見て冷静に物事を考える事が望まれる。例えばJR北海道の不祥事については大手新聞・テレビがJR北海道の企業体質を問題にしたり精神論を振りかざして一方的なバッシングを行っていたのに対し、鉄道雑誌の「鉄道ジャーナル」ではJR北海道の厳しい経営環境に触れ、そこに生じる矛盾点を述べ精神論だけではトラブルは減らないなどと別の見方からトラブル論じていた[43]。
また、企業や個人がマスメディア企業に与える影響の大小によって[44]、あるいは大衆の感情(主に怒り)によっても不祥事や事件の取り上げ方に大小の差ができることも留意すべきである。
報道の背景を読み取る
2016年のアメリカ合衆国大統領選挙の際、ローマ法王がドナルド・トランプ候補を支持したというフェイクニュースが流れ、それが大統領選挙の結果を左右する事になった[45]。しかし、選挙前にトランプはメキシコ国境に壁を造ると発言したのに対して、ローマ法王はその発言を批判していたように両者は対立していた[46]。様々なニュースに接していればこのような嘘は見破られるが、その背景を知らなければそれが嘘だとしても鵜呑みにする結果となる[47]。
また2017年4~5月にかけて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がミサイルを立て続けに発射した。4月29日の発射の際は日本のマスコミは号外を出したり[48]、東京メトロの路線が一時ストップしたことを取り上げたり、テレビ番組に至っては翌々日のワイドショーで大々的に取り上げ北朝鮮の脅威を煽ったりしたが[49]、その時の首相である安倍晋三は外遊中で特に緊急帰国する事もなかった。もし本当の緊急事態なら首相は緊急帰国するはずである[50]。このような背景を知れば例え一部のマスコミが危機を煽っても、緊急事態か否かを冷静に判断する事ができるので、マスコミの情報を鵜呑みにしないことが望まれる[51]。
その他の要因によるもの
一つ一つの情報は正しくても、それらが集合することによって異なった意味を持つことがある。
脚注
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参考文献
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- 『子どもの発達とテレビ』村野井均、ひとなる書房、2002年
関連書
- 『多くの声、一つの世界』マクブライド委員会(永井道雄監訳)日本放送出版、1980年
- 『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』鈴木みどり編、世界思想社、1997年 [6]
- 『メディア・リテラシーの現在と未来』鈴木みどり編、世界思想社、2001年 [7]
- 『メディア・リテラシーの方法』A・シルバーブラット他(安田尚監訳)リベルタ出版、2001年 [8]
- 『子どもの発達とテレビ』村野井均、かもがわ出版、2002年 [9]
- 『子どもはテレビをどう見るか テレビ理解の心理学』村野井均、勁草書房、2016年 [10]
- 『Study Guideメディア・リテラシー【ジェンダー編】』鈴木みどり編、リベルタ出版、2003年 [11]
- 『ポピュラー文化論を学ぶ人のために』D・ストリナチ(渡辺潤+伊藤明己訳)世界思想社、2003年 [12]
- 『なぜメディア研究か−経験・テクスト・他者』R・シルバーストーン(吉見俊哉+伊藤守+土橋臣吾訳)せりか書房、2003年 [13]
- 『メディアとのつきあい方学習』堀田龍也著、ジャストシステム、2004年 [14]
- 『情報 books plus! メディアリテラシー 情報を読み解き、発信する』実教出版、2004年 ISBN 978-4-407-30625-5
- 『新版メディア・コミュニケーション論』竹内郁郎他編、北樹出版、2005年
- 『世界を信じるためのメソッド ぼくらの時代のメディア・リテラシー』 森達也著 理論社、2006年
- 『オトナのメディア・リテラシー』渡辺真由子著、リベルタ出版、2007年 (ISBN 9784903724072)
- 『メディア・リテラシーは子どもを伸ばす』清水克彦、岸尾祐二著、東洋館出版社、2008年
- 『メディア・リテラシー』芸術メディア研究会編、静岡学術出版、2008年[15]
関連項目
- 情報教育
- NIE(教育に新聞を)
- メディア・スタディーズ
- カルチュラル・スタディーズ
- 情報操作
- 報道しない自由
- 報道におけるタブー
- 虚偽報道 - 偏向報道 - やらせ
- メディア・バイアス
- プロパガンダ
- マッチポンプ
- アストロターフィング
- 一億総白痴化
- イエロー・ジャーナリズム
- ブラックジャーナリスト
- メディア研究
- メディア学部