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2020年7月24日 (金) 09:27時点における版
澤登 佳人(沢登)(さわのぼり よしと、1927年4月21日[1] - )は、日本の法学者。専門は刑法、刑事訴訟法、少年法。新潟大学名誉教授。神奈川県横須賀市出身[2]。
学説・思想
大学教授として刑事法を中心に研究し、論文・著作を発表していたが、その研究対象は労働法、経済学、哲学、量子力学等幅広い。晩年になって自らの哲学的研究の成果をまとめた「宇宙超出論」を提唱し[3]、脳死説に反対している[4]。
親族
- 弟に少年法研究者の澤登俊雄がいる。
経歴[5]
- 岐阜県第一中学校卒業[6]
- 陸軍士官学校卒業[7]
- 1949年 旧制第八高校文科丙類卒業[2]
- 1952年 京都大学法学部卒業。名古屋大学法学部助手[2]
- 1956年 中京大学商学部助教授[2]
- 1960年 中京大学商学部教授[2]
- 1966年 中京大学法学部教授[2]
- 1972年 山梨学院大学法学部教授[2]
- 1973年 新潟大学人文学部教授[2]
- 1977年 新潟大学法文学部教授[2]
- 1980年 新潟大学法学部教授[2]
- 1993年 新潟大学停年退官。新潟大学名誉教授。白鷗大学法学部教授[2]
- 1994年 財団法人新潟県安全衛生センター理事長[2]
- 1998年 白鷗大学定年退職。新潟国際情報大学情報文化学部客員教授[2]
- 2002年 新潟国際情報大学退職
著作
- 『故意過失概念の新構成』(郁文堂)
- 『産業災害の法律』(同文館、1965年)
- 『経済犯罪』(同文館、1966年)
- 『性倒錯の世界-異常性犯罪の研究』(荒地出版社、1967年)
- 『刑事訴訟法史』(風媒社,1968年)
- 『刑事法における人間の虚像と実像』(大成出版社、1976年)
- 『権力止揚論』(大成出版社、1981年)
- 『宇宙超出論』(白順社)
- 『宇宙超出への道』(白順社)
- 『反自殺・反脳死』(宇宙超出文庫)
- 『臓器移植と人間の生命』(白水社)
- 『本能知と理知』(白順社)
- その他論文などについては「沢登佳人教授 略歴および著作目録」白鴎法學12号(1999年)1-32頁参照